目黒ハイキングクラブ落ちこぼれ入会記

 それは忘れもしない1995年10月19日の「目黒ハイキングクラブ(MHC)」の例会の日のことである。例会が終わってから、幹事の大下さんが爽やかな笑顔を見せて、
 「森さん、入会の感想文、書く時期になったわよ」と言う。私はそれを聞いて一瞬
 「ン?」と絶句・・・。私がいくら爽やか笑顔にヨワイと云っても、大井さんの云っている意味が分からない。キョトンとしていると、
 「森さん、入会してもう1年たったわよ」と言う。
 「エッ? もう1年も・・・」と又もや絶句。と、云うのは、である。私の参加した山行は指をり数えて・・・エーット入会してからすぐ彷徨祭の時に登った石老山でしょ、それに鍋割山に大菩薩峠、それから荒船山に伊豆ケ岳。ウーン、1年間でたったの5ケ所!
 例会の出席も指折り数えて・・・エーット数えるのは恥をかきそうだからヤメヨーッと。 続きを読む

大菩薩峠~ハラハラ・ドキドキと

 1995年7月の山行は、目黒ハイキングクラブ(MHC)ではファミリーレベルとはいえ、かの有名な大菩薩峠である。なんたって2000mもある。かくしてメンバーはファミリークラスの健脚を誇る北山さん、島川さん、美人の西田さん、それに新人でオッカナビックリ初参加の私。リーダーはキュートな倉地さん。
 私は女性と一緒に山に登ると、何故か足取り軽くスイスイという癖がある。無論、前を歩く女性の偉大なオケツ・・・ン? 訂正、ヒップを見ながら登ると疲れを忘れる、なんてことはこれっぽちも考えたことはない。しかしながら、これで今日の大菩薩峠はバテなくてすむと安心する。 続きを読む

武川岳~行きはヨイヨイ帰りはコワイ

 1996年5月12日Am5時30分。目覚時計の音と共に電話のベル。いくら朝に弱い私でも、夢の中でナントカさんとアアしてコウしてアアなる寸前であろうとも、これじゃ起きねばならぬ。
 電話は先輩の島内さんからのモーニングコール、朝に弱い私を心配しての島内さんの心ずかいである。まさにアアなる寸前だったのに損したなどと決して云ってはならぬ。有り難いことである。
 いつものコンビニでいつものオムスビ3個と玉子焼きと煮物と鶏の唐揚げとビスケットとキャンデイとペーパードリッパー付のmoncafeのコオヒイとbrokebondの紅茶とウーロン茶1缶とミルク300mlとアルカリオイン水500mlを買う。
 ウーン、だって、これって朝メシと昼メシと非常食兼用のオヤツでしょ。でも、全部食べてしまう訳ではないけれど、山からクタクタになって下りて来ても、体重ちっとも減っていないのは何故かしらん。 続きを読む

三頭山~ハナは流れる

 1996年11月6日の目黒ハイキングクラブ(MHC)例会が終わって帰ろうとした時、堀川さんが「三頭山に行こうよ」と云ってきた。私は、女性から誘われると何故か知らねど「ウン」と言う習性がある。それも堀川さんからの誘いである。見境もなく「ウンウンのウン」と云ってしまった。
 ところが、帰って会報「ほうろう」を見るとグレードⅢとある。私は、四捨五入すればオジーサンにあるオジサンなので、グレードⅢとなると「ン、大丈夫?」というところであるが、リーダーが高山さん、メンバーが鈴元さんに堀川さんである。MHCの誇る超弩級の高山さん、鈴元さんにサンドイッチされての山行なれば、上役下役に挟まれてのサンドイッチとはエライ違いである。「マ、いいか」ということにした。 続きを読む

飯盛山~オイシクておいしくて

 1997年8月の目黒ハイキングクラブ(MHC)のファミリー登山は飯盛山。リーダーはなんと森さん、この私。MHCのチョー最少山行回数を誇るサボリマンがリーダーになってはと、神さんはいたくご心配あそばされ台風をお使いになり、かくして7月のファミリー山行はお流れ。シメシメ、神様ありがとうという訳で、のんびりと心も軽く8月17日に個人山行で登ることにした。
 一緒に登ってくれたのは、華麗なる堀川さん。スッゴイ。彼女は生粋の独身だが、私も?付だけれどやはり東京独身である。かくしてMHCの希少価値を誇る独身ペアーで飯盛山登山隊を結成。 続きを読む