ゴールデンウイークをどうぞ

5月。10連休のゴールデンウイークがスタート。なんと素敵!!!

とっても年寄り私などは365連休だろうから、ゴールデンウイークは関係なかろうと思われるかもしれませんが、とんでもハップン!!!
スマホのスケジュール表で、プライベートを含めると空白な日は3月も4月も三日だけという散々たる有様。

エ? 何?「それってプライベートがほとんどでしょ。イイ年をして遊びすぎ」・・・だって。
ウーン、まあ、花見は4回だけ(弁当付きは2回、すみません)映画は4本のみ、演奏会は1回だけ、その他エトセトラ・エトセトラだけで・・・後は仕事がらみ。

ホントです。これでも私、自治会と老人クラブの会長、老人クラブ連合会の会計&副会長をやっているものだから、年度末と年度初めは会議と行事がいっぱい。

でも、私、84歳の末期高齢者でしょ、「男の死にどき」の真っただ中。そして来年は85歳の終末高齢者となって、天の彼方から「もういいよ」と言われゴールすることになっているそうです。
だから、なけなしの余生を楽しむため、背負い込んでいる3団体は85歳までと断言していますので、それからは夢の365連休となるに違いありません。
ウーン、あといくつゴールデンウイークを迎えられるのでしょうか???・・・トホホホホ。

そう、竹内まりやの「人生の扉」にあるように

満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先 いったい 何度見ることになるだろう

4月でようやく仕事のケリはついたし、ここで、わが生涯最後の・・・ではないと念じて・・・ゴールデンウイークを満喫しようと思ったけれど、TVで観光地の様子を見ると、こりゃとっても年寄りの出る幕ではないとガマンがまん我慢の連続!!!

そこで、貴重な10連休を、私の大好きな井上陽水や中島みゆきを聴きながら、ツン読していたミステリー・・・ギリアン・ロバーツの「死体と一緒にヴァケーション」とローレンス・ブロックの「殺しのリスト」に土屋賢二のユーモア・エッセイ「日々是口実」を読破し、録画してある懐かしの洋画・・・「黄色いリボン」や「北北西に進路を取れ」とか「ティファニーで朝食を」など6本をしみじみ楽しむことにしましょう。

そして、井上陽水の「5月の別れ」をどうぞ・・・ネ、これって5月がピッタリでしょ。私の大好きな歌!!!

5月の別れ

風の言葉に諭されながら
別れゆく二人が五月を歩く
木々の若葉は強がりだから
風の行く流れに逆らうばかり

鐘が鳴り花束が目の前で咲きほこり
残された青空が夢をひとつだけ
あなたに叶えてくれる

いつか遊びに行きたいなんて
微笑みを浮かべて五月の別れ
月と鏡はおにあいだから
それぞれにあこがれ 夜空をながめ

星の降る暗がりでレタスの芽がめばえて
眠りから醒めながら夢をひとつだけ
あなたに叶えてくれる

果てしなく星達が訳もなく流れ去り
愛された思い出に夢をひとつだけ
あなたに残してくれる

嗚呼、オリンピック 2

オリンピックがようやく終りました。私、生粋のスポーツダメ男なので、テレビでオリンピック漬けになった訳ではないけれど、まあ、世間の話題についていくために、主な番組をつまみ食いをして「スゲー、スゲー」を乱発して見た次第です。

試合が放映されて、多くの名場面が生まれたんでしょうけれど、その中で心に残った場面が2つあるんです。

女子のスケートボードで金メダル候補だった岡本選手が最後のトライで失敗し泣き崩れた時、なんとすぐさま数人の外国の選手が駆け寄り、彼女を担ぎ上げて歩き出したんですね。すると岡本選手の涙でクシャクシャになった顔が笑顔に代わって・・・私、とっても年寄りなのに胸キュン!!! すっごく素敵なシーンでした。

スケートボードの日本の選手、みんな子どもといってもいい年齢の選手だから、特に可愛いさが目立ったんだろうけれど、皆さん、笑顔&笑顔&笑顔!!!
スケートボード以外の選手の皆さん、日の丸を背負って戦いに挑んでいる人も多いけれど、スケートボードの選手は悲壮感なしの可愛いニコニコ顔。「私の競技良かったでしょ。見てくれた?」と、心から楽しんでいるというのが分かった気がしました。

オリンピックもメダルの数とは関係なく、信じられないような演技を楽しみ、悲壮感なしのニコニコオリンピックになれば、楽しいんだろうなという気がしました。

サッカーの試合で日本がメキシコと対戦して敗れた時、外国で多くの試合を経験している久保選手が、コートの中で崩れこみ人目をばからず号泣したんです。そして、コートから引きあげてもまだ涙を浮かべている久保選手に、レポーターが「それでもあきらめずにゴールを目指していましたね」と言ったら、久保選手、きっとなって
「そんなことを言っても何にもならない、負けは負け」と云いきった場面です。

久保選手の潔い言葉に・・・私、胸うたれました。都合の悪い時は、ごまかしたり他のせいにして弁解することが多い世の中で、久保選手の言葉は心に刺さる気がします。

オリンピック2020は、地震も起こらず台風も来ず猛暑の中選手がバッタバッタ倒れることもなく、選手村でクラスターが発生して他国の選手に汚染が広まることもなく、コロナに罹った外国の選手から東京に汚染が広まることもなく、バンザイばんざい万歳で終わることが出来ました。

逆の現象が起きていたら、オリンピック反対論者から「それ見たことか!!!」と、菅ソーリはケチョンケチョンにやられたことだろうけれど、ホント、菅ソ-リって運がいい・・・ン? そうではなくって、ルールを守った選手の皆さんやその関係者とメディアの方々、それにボランティアの皆さんがSTOPコロナを厳守した賜物なんですね。

月刊誌「文藝春秋」の9月号に、台湾・蔡英文総統の単独インタビューが掲載されていて、冒頭に蔡英文総統が
「日本は、東京オリンピック・パラリンピックが新型コロナの感染拡大により1年の延期が決定し、その後も多くの困難に見舞われました。それらの障害を乗り越え、今年7月に予定通り開催される運びとなったことを、日本の隣人として心からお祝い申し上げます」と話されていました。

そして、金メダルを貰った多くの選手から「オリンピックを開いていただいて有難うございました」という言葉もありました。

私、窮屈な制限された生活を強いられているのに、なぜオリンピックが・・・と思っていましたが、耐え難いような練習を経て生涯をかけてオリンピックに賭けてえきた選手たちと、それを支えてきた人たち、そして選手の活躍を見ようと期待している世界中のウン十万人の人達が、オリンピックが開催されなかった時の落胆を思うと、非常事態宣言下であっても、オリンピックやってよかった思うようになりました。

オリンピック、いろいろ言われたけれど、終わり良ければ総て良しということになるんでしょうね。

夏がくれば

広島の平和記念公園で、原爆投下から76年目になる8月6日に「平和記念式典」が開かれました。

式典で菅ソーリの挨拶がテレビで中継されたので見たんです。いつもながら原稿を読みながらの挨拶だったんだけれど、挨拶文がテレップで流れていたんですね。

ところが、挨拶の途中で、そのッテロップが数秒消えて「エッ?」と思ったけれど、なんと原稿をすっぽかして読んだんだって・・・。

その消えた文章が「核兵器のない世界の実現に向けて力を尽くします」という肝心かなめの文章。ウーン、これって本心じゃなかったで読まなかった・・・と、いう訳ではありません。本当です。単なるミスです。信じて下さい。トホホホ・・・。

でも、NHKのテレビ中継のテレップが流れていたので、テレビを見ていた皆々さまに、チョンボしたことがバレてしまいました。ホント、菅ソーリってついていないですね。お気の毒デス。

長崎でも9日に「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が開かれて、菅ソーリの挨拶があったんだけれど、菅ソーリ「過ちは2度と起こしません」と、しっかり原稿を読みました。

無論、その様子がテレビで中継されたんだけれど、NHKって凄いんですね。わがニッポン国の最高権力者に恥をかかせたら悪いと思ったんでしょうね、ほかの方々の挨拶文には全員スーパーが付いていたけれど、菅ソーリはスーパーなし。でも、これって、菅ソーリを信用していないてことになるんじゃない? なんだか菅ソーリに失礼デス。

ところが、今度はしっかり原稿を読んだと安心したんでしょうね。最後は原稿を見ずに、真正面をみて「令和3年8月9日 内閣総理大臣 菅義偉」と云ったんですね。でも、式典で挨拶をされた方は、全員「2021年  令和3年8月9日ーーー」と、全員西暦を付け加えて挨拶をされていました。

菅ソーリは、一番エライ人だから原稿に西暦は省略してあったかもしれないけれど、挨拶された皆さんは西暦付きだから、6日のチョンボがあるので「2021年」をすっぽかしたんだと思ってしまいました。真相を知りたいけれど、チョンボしたなんていう訳ないですね。邪推だったらごめんなさい。

今日は8月15日。終戦記念日です。むかし昔、この日のことを正直に「敗戦記念日」と云っていたそうです。ところが、わがニッポン国のオエライさんが「それじや格好悪いよ」と云うことで「終戦記念日」としたとのこと。

わがニッポン国のオエライさんってアタマがいいんですね。あとウン十年後には、子供たち「敗戦なんてウソ!!! ニッポンが負けたってあり得ない」と云うに違いありません。ウン、歴史は変えられる。

「夢旅人」は毎年この日には、戦争や原爆にちなんだ詩など掲載しています。今年は、NHKの「全日本音楽コンクール」で歌われた合唱曲をご紹介します。

合唱組曲 手紙  坂田江美作詞  坂田三和作曲

夏の日
その日も同じ朝が来た
太陽は熱かった
いつものように
いつもの通りを小路を
港を家々を町を
ひとびとを照らした

郵便屋さんは自転車を
こいでゆきます
お母さんは洗濯ものを干します
電車は路を行き交う
お姉さんは髪をとかします
お兄さんはお弁当をもってかけていく
「いってきます」
「いってらっしゃい」
はとは飛んでいた
空は飛ぶところだから
いつものように きもちよさそうに

 そして光った

夏がくれば思い出す
あの日 手紙は届かなかった
こどもたちも おとなたちも
馬や犬やねこも やさしい人たちがいなくなった

それは写真集でなく
それは白黒のページではなく
あの日は今日もつづいてる
なみだは ひとつづきの塩水だから

青い水の島に
今日も同じ朝が来た

あれから10年

東日本大震災、あれから10年。しかし、遺族の方々にとっては「10年一日の如く」と云うように、時は止まったままにちがいありません。

そして「復興」したと言っても、街が元の姿を取り戻した訳でもなく、住む人も戻ってきたと云う訳もありません。なんだか「復興」というより「再生」したという方が近いような気がします。

生き残ったのは奇跡ではなく、亡くなった方から引き継がれた命と思い、耐えて生きておられることでしょうけれど、昔の面影を宿した新しい街を作るには、なくてはならぬ人となっているのですから、宮沢章二の詩「行為の意味」のとおり、心を寄せる多くの人達がいると思って・・・。

 行為の意味   宮沢 章二

あなたの心はどんな形ですかと
人に聞かれても答えようがない
自分にも 他人にも心は見えない
けれどほんとうに見えないのであろうか

確かに心はだれにも見えないけれど
心づかいは見えるのだ
それは 人に対する積極的な行為だから

同じように胸の中の思いは見えないけれど  思いやりは見えるのだ
それは 人に対する積極的な行為なのだから

あたたかい心が あたたかい行為になり
やさしい思いが やさしい行為になるとき
「心」も「思い」も、初めて美しく生きる
それは 人が人として生きることだ

福島の破壊された原発の処理は、正に字のごとく「10年一日の如く」で10年を単位として進められているようです。処理費用は公式には22兆円とされていますが「日本経済センター」によると、汚染水や汚染土壌の処理費用を含めると35兆円から下手すると81兆円になると試算されています。100円単位で暮らしている私にとっては、途方もない金額で想像すらできません。
原発のために故郷をなくした人の心の痛みは、お金では図られませんが、これを思うと原発って・・・何のために?
エ? それって電力会社のためでしょって・・・。まさか・・・。

原発の「安全神話」がなくなり「想定外の災害」が起こりうるということが、福島原発で証明されたのだけれど、原発がなかったら経済がもたないという「経済神話」は生まれて、原発はこのまま生き延びていくに違いありません。

私たちの近くにある原発が「想定外の災害」にあうかもしれないというのに・・・。
原発のウンコともいうべき溶け落ちた核燃料(デブリ)の捨て場所もないというのに・・・。

てんやわんや 2

私の住む街北九州市は福岡県にあり、今日で非常事態宣言が目出度く解除された。と、云っても私、アルコールにはとびっきり弱いので居酒屋に行く趣味もなく、好き嫌いはなく美味しく食べる非グルメ族だし、我が家はどうでもいい物が溢れているから買いたい物はないでしょ。だから〝それッ、街に出ようと〟という気概に乏しく・・・。飲み屋街や商店街のみなさん、ごめんなさいね。

まあ、私、後期高齢者を無事に卒業し、目出度く80年代の末期高齢者になっているんですから、こういう心情になるんでしょね。

これで、わが街北九州市はちょっぴり活気づくと思うけれど、国会も政策論で活気づくならともかくヘンな意味で活気づいて、てんやわんや・・・。

賢明なソーリの息子さんが、総務省のオエライさんや、賢明なソーリのお気に入りの内閣広報官さんを接待したのがバレて、コロナそっちのけで大騒ぎ!!!

「長男は別人格」と賢明なソーリの突き放すような発言を聞いて〝家族なんでしょ〟と、思ったけれど、とんでも勘違いでした。とっても長男想いの父親だったんですね。だって、賢明なソーリが総務大臣になった時に、長男さんを大臣秘書に取り立て総務省にカオが利くようにさせ、総務省がカオに利くメディアの「東北新社」に入社させているでしょ。アア、それなのに今回の騒ぎが突発して・・・賢明なソーリ、お可哀そう。世話の焼けるお子さんなんですね。

長男さんの写真を見てビックリ。賢明なソーリに似て、紳士風の装いで登場すると思っていたら、なんと芸能人風の装いだったでしょ。と、思ったけれど、長男さんの住む世界はメディアなんですから、あの服装は標準スタイルなんでしょうね。失礼しました。

私、現役の頃は営業もしたことがあったんだけど、接待する場合、お酒の席でストレートに「コレをよろしく」なんて、失礼なことを言ったことはないんですね。新年会とか暑気払いとか忘年会とか、あれこれ大義名分を付けて来てもらえれば、後は、云わずとも、ニッポン人の優れた「水心あれば魚心あり」とか「以心伝心」とか「阿吽の呼吸」とかを発揮してもらって、万事めでたしめでたしということになる訳なんです。

だから、接待された総務省のオエライさん達は「仕事の話はなかった」と云っているけれど、それってホントに違いありません。でも、可哀そうですね、総務省のオエライさんや広報秘書官さんたち・・・。賢明なソーリの息子さんがいなければ、ホイホイと呼び出しに応ずる訳はないんですから。