ハードな気分で その2

9月になると言うのに、今まだに夏真っ盛り気分。シッチャカ・メッチャカ熱い日々を、ハードな気分で吹っ飛ばしましょうね。ということで、4月15日に掲載した「ハードな気分で」の続編です。

判 断

ディックナーが紹介した。彼女は力のこもった握手をして、慎重に私を見回していた。私にタイヤが付いていたら蹴ってみたに違いない。

早川書房「レイチェル・ウォレスを捜せ」ロバート・B・パーカー/菊池光訳

(タバコを)

・・・鼻孔をかすかに広げて煙を吐き出した。官能主義者だ。それはまちがいない。

角川書店「俺には向かない職業」ロス・H・スペンサー/上田公子訳

・・・一人前に警官の目つきで見る。用心深く分析的で不信感のあられな目。

サンケイ出版「歪んだ果実」ジョナサン・ケラーマン/北村太郎訳

「何かに深く絶望しているように見えるけど、でも、あなた、いい観察眼を持っているわ」

「少なくとも絶望に関しては」

早川書房「暗闇にひと突き」ローレンス・ブロック/田口俊樹訳

彼は鋭い目でわたしを見た。・・・しばしわたしを値踏みする。・・・不愛想で、中産階級で、テニス・コートで人目を引くこともない。私の価値など彼が楽しい週末に使う小遣いぐらいのものだろう。

東京創元社「夜の海辺の町で」E・C・ウォード/小林祥子訳

(トップレスの店に入ってみて)

「セックスいっぱい。ちょっぴりいかがわしく、すてきないかがわしさ」

早川書房「破産寸前の男」ピーター・バーセルミ/斎藤数衛訳

シェリー・ルーは、ぼくにはわからないぼくというものがわかり、ぼくはことわざ集のようなものであり、夜明けと同じくらい予測がつきやすい人間だと思いこんでいる。それに関してはえらい自信だ。

二見書房「ピンク・ウォッカ・ブルース」ニール・バレット・ジュニア/飛田野裕子訳

パリオはにやりとし、彼のような男にいかにも似つかわしい、男性ホルモンのテストステロンに誘発された光を目に浮かべて、わたしを上から下まで眺めた。わたしのことを性的に抑圧されたお堅い司書タイプだと決めつけ、たとえば昔の映画のボガードのような好みの男が姿を現したら、わたしが眼鏡をかなぐり捨て、髪を揺すっておろし、盛りのついた猫よろしくふるいつくだろうと考えているにちがいない。むしょうに腹が立ったけれども、もっとくやしいのは、わたしが眼鏡をはずし、髪を揺すっておろしても、あいかわらず性的に抑圧されたお堅い司書タイプのままかもしれない、という点だった。

集英社「コンピューターから出た死体」サリー・チャップマン/吉澤康子訳

彼を値踏みするようにつくづく眺め、その長所や短所を分析し、取るに足りない男のカテゴリーに分類しようとした。

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その時が来たんだ

8月15日。今日は「終演記念日」。昔むかし「敗戦記念日」と言っていたらしいけれど、これってかっこ悪いでしょ。だから、いつの間にか「終戦記念日」となったようです。
今や、終戦の日のことを覚えている方はそのうちいなくなり、現実感はなくなって「歴史上の出来事」になってしまうのでしょうけれど、その日のことを詠んだ詩があります。この詩は1951年、67年前に書かれたものだけれど、その時点で、もう石垣りんは「その時が来たのだ」と、書きました。そして、
“すべてがそうなってきたのだから仕方がない”と・・・。
今、2018年。石垣りんが、この詩の最後のフレーズに書いたとおりになってしまったようですね。
なんと無力・・・。
    雪崩のとき  石垣 りん
    
人は
その時が来たのだと、という
 
雪崩のおこるのは
雪崩の季節がきたため と。
 
武装を捨てた頃の
あの永世の誓いや心の平静
 
世界の国々の権力や争いをそとにした
つつましい民族の冬ごもりは
色々な不自由があっても
また良いものであった。
 
平和
永遠の平和
平和一色の銀世界
そうだ、平和という言葉が
この狭くなった日本の国土に
粉雪のように舞い
どっさり降り積もっていた。
 
私は破れた靴下を縫い
編物などしながら時々手を休め
外を眺めたものだ
そして ほっ、とする
ここにはもう爆弾の炸裂も火の色もない
世界に覇を競う国に住むより
このほうが私に合っている
と考えたりした。
 
それも過ぎてみれば束の間で
まだととのえた焚木もきれぬまに
人はざわめき出し
その時が来た、という
季節にはさからえないのだ、と
 
雪はとうに降りやんでしまった
 
降り積もった雪の下には
もうちいさく 野心や、いつわりや
欲望の芽がかくされていて
“すべてがそうなってきたのだから
仕方がないというひとつの言葉が
遠い嶺のあたりでころげ出すと
しかたがない
と、落ちてくる。
 
ああ、あの雪崩、
あの言葉の
だんだん勢いづき
次第にひろがってくるのが
それが近づいてくるのが
 
私にはきこえる
私にはきこえる
 ※ 石垣りんーー1920年~2004年。日本興業銀行に入社、定年まで勤務する。「歴程」同人、19回H賞、12回田村敏子賞など受賞。掲載した詩は、石垣りん詩集「私の前にある鍋とお釜と燃える火」より。

「まど・みちお」って?

北九州市立文学館から、第26回特別企画展「まど・みちおの宇宙」の開会式の案内状が届いた。

「まど・ みちを」を知っている人も居るだろうけれど、私なんか知識薄弱だから「エ?、誰?」である。ところが、これが大間違い。「まど・みちを」は、超有名人だったのである。

展覧会の会場の入口に「まど・みちおの宇宙展」のポスターが貼ってあって、そこに

「ぞうさん ぞうさん おはなが ながいのね そうよ かあさんも ながいのよ」という歌詞が書いてある。そう、ぞうさんの歌は誰でも知っている超有名童謡で、その作詞をしたのが「まど・みちお」だったのである。それに、なんと作曲をしたのが團伊玖磨。

團伊玖磨は、私の所属している合唱団「北九州をうたう会」が歌っている合唱組曲「北九州」を作曲した人である。だから「ぞうさん」の歌は知っていたけれど、私、知識薄弱でしょ。だから作詞者までは知らなかったのである。なんという不覚。言うなれば、團伊玖磨を通じて「まど・みちお」とは、フカーイ関係があったのである。

私、たちまちにして「まど・みちお」は、とっくの昔から知っている人に変身。これからは「まど・みちおさん」と呼ぶことにしよう。

開会式では、司会者として北九州市市民文化スポーツ局長の久保山雅彦さんと、北九州市立文学館長の今川英子先生が挨拶をされた。久保山雅彦局長は、我が「北九州をうたう会」がお世話になっている部門の局長さんだし、私は今川英子先生の大ファンでもある。主催者挨拶というのは型にはまったものが多く、うわの空で聞くことが多いけれど、お二人は原稿なしでスラスラと話し、私はウンウンと聞く。なんと幸せ。閉会後に「まど・みちおさん」の出身地である周南市美術博物館長でもあり、まど・みちをさんと交流のあった有田純一さんの講演がありました。

ばたの花や草や木や動物など、あらゆるものにあたたかな眼差しを向け、その喜びを詩や絵に表したと「まど・みちおさん」が言う通り、会場にはほのぼのとユーモアに満ちた心なごむ作品がいっぱい。生きることの喜びに溢れた「まど・みちおさん」の宇宙が広がっていました。

詩のほかに、絵も展示されていました。会場入り口に張られていたポスターに描かれている絵は「ぞうさん」(ネ、可愛いでしょ)だそうである。この絵のように「まど・みちおさん」の絵は、抽象的な絵が多く、そして、そのタイトルの多くは「無題」。

私は抽象画が好き。抽象画は見る人が「何が描いているのか分からない」と言って敬遠する人が多いけれど、抽象画は、見る人が勝手にイメージ出来るでしょ。タイトルがつけられていたら、「どうして・・・・なの?」とつい思ってしまうけれど、タイトルが付けられてなかったら、自分のイメージで「ウン、・・・なんだ」と思えばいいんです。だから「まど・みちおさん」が「無題」とした考えは、私の考えと同じだっと思って、ついニコニコ。さらに館長の小川英子先生が、挨拶のなかで「まど・みちおさんは、パウル・クレーが好き」と話されたので、私、ニコニコのニコニコ。 だって、私、パウル・クレーの絵が大好きなんデス。

絵も素敵、自筆の詩も素敵。「持って帰っていいです」と「まど・みちおさん」の詩が書かれた小さなカードが置かれていました。なんという心くばり。これって、きっと、今川英子先生の発案でしょうね。うれしくなって、5枚も取って帰りました。そのなかで、私のとっても好きな詩をご披露します。

      チョウチョウ

ちきゅには

チョウチョウが います

なんとなく います

みちばたの ちいさな くさに

ちいさな はなが

匂っている みたいに

 

ちきゅうには

チョウチョウが います

ゆめのように いてくれます

ちきゅうの ここに

あたしという おんなのこが

いるから みたいに

 

ネ、心がほんわりとニッコリ・・・。

展覧会は9月17日まで。是非、見に行って下さいね。

 

九州の片田舎でN響?

北九州市小倉北区の最大級の規模を誇る浄土真宗本願寺派の永照寺で、嘉恩弦楽四重奏団の「御堂Consert」が開かれた。
私は、このお寺の門徒で報恩講に行ったとき「御堂Consert」があるので来てくださいね、という住職の言葉につられて行ったのだけれど、コンサートのプログラムを見たらビックリ!
お寺の住職さん達の演奏かと思ったら、とんでもない、メンバーはプロ中のプロ!!!
ヴィオラの川本嘉子さんはN響の首席客演ヴィオラ奏者、第1ヴァイオリンの須山暢大さんは大阪フィルのコンサートマスター、第2ヴァイオリンの横道耕一さんはN響のバイオリン奏者、チェロの宮坂拡志さんもN響のチェロ奏者。そして皆さん、国内外のエライ音楽家に師事していた経歴を持ち、多くのオケと共演しナントカ賞とかカントカ賞など受賞しているスゴイ人たちだったのである。
私、花の都の東京で華の独身生活を謳歌していた頃・・・ン? 訂正、華の単身生活を謳歌していなかった頃、N響の定期演奏会によく行ったものだけれど、我が街北九州市って、全国的レベルから云えば九州の片田舎でしょ。N響なんてお呼びでないのである。だから、プログラムに書かれてある演奏者のプロフィールを見たら、
「スゲー!!!」メンバーでしょ。
「N響のメンバーによる演奏が聴けるんだ」と、もうビックリ!
ご仏壇の前に降ろされた金箔の簾の前で、モーツアルトの「ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏」と「ディヴェルティメント1番と2番」。休憩の後はベートーヴェンの「弦楽四重奏曲第8番」が演奏されたのである。
演奏された3曲とも曲名だけ聞くと聴いたことがあるような気がしたけれど、演奏を聴いたら、
「?」というような感じである。わざわざ東京や大阪から来た4人の奏者の方には、ド・シロウト風の聴衆で申し訳のない気がするけれど、演奏はド・シロウト風の聴衆にも、しんしんとしみじみと心に沁みる演奏で、またもや、もうもうビックリ!!!
私が座ってしる椅子は、演奏しているところから3mほどの位置で、ステージといっても平面だから、目線は同じ。凄いでしょ。モーツアルトが貴族の前でピアノを弾いている風景と同じである。ウン、貴族気分で聴けるって、なんと素敵なことでしょう。
ヴィオラの川本嘉子さんが言っていたけれど、弦楽器の弦が木造の天井の高い空間に共鳴するようで驚いたと話した通り、弦の音が柔らかにやさしく聞えるのである。これって、不思議な感覚なんデス。
以前、この永照寺でミニコンサートがあったけれど、不思議なことに演奏者の皆さん、同じことを言っているんですね。
これって、お寺っていう雰囲気と本堂の構造がコンサートホールにまさる効果を出しているに違いありません。

素敵ですね、永照寺さん。

 

モヤモヤ&モヤモヤ

私は、もともと生まれながらのスポーツ音痴である。但し、何故か生まれながらのジャイアンツファンなので、ジャイアンツが勝っている時の試合だけは見ることにしている。だから、新聞のスポーツ欄はジャイアンツが勝った時だけはしみじみと熟読するけれど、それ以外はパラパラと捲って人生の残り少ない時間を倹約することにしている。
だけど、ワールドカップだけは、世間がアアだコウだとかしましく騒いでいるのに
「キョトン?」としていたら
「そう八さん、認知症?」と思われる可能性があるので見ることにしている。
その第3戦。私は夜型なので最後まで見たけれど、終わりに近づくと我がニッポンチームは、チョコマカとボールの蹴り合いを始め、テキはボカーンとして動こうともしない。ア然!!!
どうも、さむらいニッポンチームは「いさぎよく戦って負けても悔いはない」というニッポン古来の戦法を取らず「果報は寝て待て」というニッポン古来の言い伝えを守ることにしたらしい。
そして、テキはもう1点取っても決勝戦に行けるは訳ないし、ニッポン国から憎まれるようなことはヤメようと博愛精神を発揮して、我がニッポンチームを
「フーン、ヤルじゃん」と見守っていたに違いないのである。
テキとミカタに分かれての大舞台で、双方の思惑が一致するなんて魔訶不思議な現象は、ワールドカップ史上初めてのことだろうから、ギネスブックに登録されるかもしれぬ。
翌日、新聞やTVを見ると、アアでもないコウでもないと大騒ぎ。
マスコミって、頭の良い人が集まっているから、最初の「0勝3敗」からコロコロ言うことが変わっても、「君子は豹変する」のだからいいでしょ、ということらしい。
でも、モヤモヤ感は残っているけれど昔から「勝てば官軍」だし、現代は「結果がすべて」の時代になっているから
「マ、いいか」と言うことでしょうね。

ワールドカップ