大安とゴジラの尻尾と吉永小百合さん

今年は、暖かくてほんのりとしたお正月で幕開け!!

私、今年82歳。でも明るい日差しをあびると、後期高齢者を卒業し末期高齢者となっている私でさえも、なんだか心も弾んでいいことありそうな気がします。

ウン、そうなんです。皆さんから言えば、どうでもいいことかもしれませんが、私にとっては、すこぶる嬉しいことが3つもありました。

 

毎年、お正月には三社参りに行くことにして、必ず三社ともお神籤を引くことにしています。

大安が出たら、当然ながらあとはお神籤は引きません。残念ながら遺憾にして三社とも大安が出なかったら、大安が出るまでほかの神社にお参りに行きたいところですが、神様から顰蹙をかいそうですから、シブシブ大安なしで諦めることにしています。

と、云うことで、ズズズーイと残念ながら遺憾にして大安にエンがなかったのに、なんと今年は二社目で大安をゲット!!! 凄いでしょ。やることなすことすべて良し、だって・・・。ウン、そうだ。宝くじを買って7億円の宝くじに当たることにしましょう。

 

我が街、北九州市には、2つのスクリーンを持つ昭和館というミニシアターがあって、なんと今年創立80周年。洋画や邦画を問わず、名画やちょっぴり時期がづれるけれど話題作を2本立てで上映して、なんと入場料、年齢関係なく1,100円。2本立てだから食べ物やお菓子は持ち込み自由という、外観も中身も昭和という雰囲気あふれる映画館です。

今年は、創立80周年とあって、上映する映画にちなんで監督や俳優を招き、舞台挨拶やトークなどのいろいろなイベントが催されています。それで、先月「シン・ゴジラ」の樋口監督を迎えて「シネマカフェ」を開催、「ゴジラ・キング・オブ・モンスター」を上映した後、樋口監督のトーク、次に「シン・ゴジラ」を上映というイベントが発表されました。

私、もともとドンパチ映画・・・我がヒーローが、ドンドンパチパチむやみやたらに弾を撃ちまくり、敵もドンドンパチパチむやみやたらにを撃ちまくるけれど、我がヒーローには、弾は何故か当たらず、敵には当たってバッタバッタと倒れる映画・・・が大好きで、邦画は見ないことになっています。だけど、物事には例外というものがあって、そう、吉永小百合とゴジラ映画は、昔むかしその昔のそのまた昔から映画館で見ることになっています。

そのゴジラ映画の監督さんが九州の片田舎に来るって、スゲー&スゲーという訳で、いそいそと見に行きました。

スクーリンに映像を映しながらの樋口監督のトークは抜群、面白かったです。怪獣映画のはしりは、今から56年前の1964年に上映された本多猪四郎監督「宇宙大怪獣ドゴラ」。この映画に若き日の樋口監督はスタッフとしてかかわったとのことで、当時の撮影所の映像など共に、特捜などなかった当時の撮影のエピソードなど紹介されました。

ドゴラはゴジラと似ても似つかぬ怪獣で、足が何本もあってそれが一見クラゲ風。そしてこの映画の舞台はなんと北九州市。ドゴラのクニャクニャ足に破壊される「東洋一の吊り橋」若戸大橋などの映像が映し出されてビックリ。わが街北九州が、怪獣映画発端の街だとは、ゴジラ大ファンの私にとって、最大の嬉しさいっぱいです。

樋口監督は、それ以来怪獣映画からゴジラまでかかわってきたそうで、いろいろなエピソードを映像と共に縦横無尽にお話がはずみ「最後に質問をどうぞと」ということになりました。そこで子供の声で質問あり、

「シン・ゴジラのラストシーンにゴジラの尻尾の先が映し出されましたが、どういう意味?」と。

この意味しんのシーンは、ゴジラファンの間で「あれって、なに?」と、かしましく論じられたシーンです。この答えが聞けると、固唾をのんだら、樋口監督曰く

「あれは、見ての通りの映像です」と、うまくはずかされてしまいました。

あれって、続編につながるシーンだと思っているけれど、「次回作は?」という質問に対して

「私が、若い時にゴジラをやりたいと思ったように、もう、年をとった私ではなく、若い監督さんがやってくれるでしょう」との答えでした。

上映された映画は2本とも見たけれど、私、「シン・ゴジラ」は映画館で2度見て、テレビで放映された時も見てるんですね。今度で性懲りもなく4度目。

ウーン、ゴジラの格好って何度見ても素敵ですね。ホレボレ・・・。

 

3つめの嬉しかったことは、吉永小百合さんのカレンダーが自筆のメッセージを添えて送られてきたこと。これって最高に滅茶苦茶に凄く幸せ・・・・

どうして、私なんかの所にカレンダーが送られてきたかというと、それは、

「かくかくしかじか・・・」という理由なんですね。ホント、ウソみたいな本当の話。

1月のカレンダーは、着物姿の微笑みを浮かべた小百合さん。

早く来ないかな、来月!!! あらたな小百合さんと会えるんですから・・・。

 

 

出発点

今日は1月1日。令和の初めてのお正月、干支も初めての子年、そして西暦も2020年と、きりの良い年の始まりです。と云うことで、とにもかくにも、

明けましておめでとうございます。

まあ、今年はオリンピックイヤーだし、なんだかイイことがありそうな予感がするけれど・・・ウーン、私、いい予感ははずれ、悪い予感はあたるという習性があるので・・・残念ながらきっと、今年も日本のどこかで観測史上最大の台風や豪雨や、とんでもない地震が起きるかもしれませんね。

昨年、世界も我がニッポン国もなんだかおかしくなりそうな気配が漂って、アレやコレやイヤなことも起き「お正月が来ても、ちっとも目出度くなんかないよ」と、いう人もいるに違いありません。

詩人 谷川慎太郎が「絶望」という詩を書きました。

   絶望   谷川俊太郎

絶望していると君は言う

だが君は生きている

絶望が終点ではないと

君のいのちは知っているから

 

絶望とは

裸の生の現実に傷つくこと

世界が錯綜する欲望の網の目に

囚われていると納得すること

 

絶望からしか

本当の現実は見えない

本当の希望は生まれない

君はいま出発点に立っている

 

私、我ながら信じられない気がするけれど、今年82歳。新聞に掲載される訃報を見ると男性の有名な方は82歳~83歳で亡くなる方が多いでしょ。

良かったですね。私、有名人でなくって・・・。

私、今のところ

物忘れ 探せるうちは まだハッピー ※

という段階ですから、もうちょっと、この「夢旅人」のプログ、続けていけるかもしれません。どうぞ、よろしくお願いします。

 

※ 河出書房新社刊「シルバー川柳」から、岩見弥生「90歳)作

※ このプログ「ご挨拶」の頁に私の近況を報告している年賀状を掲載してありますので、読んで頂くとありがたいです。

最後のニュース

昔むかしのそのまた昔のその昔「もうあといくつ寝るとお正月」と思った時代は、はるか遠くに去って、とっても年寄りになった今「お正月など来なくていいよと、残り時間が短くなるだけだから」と言いたくなります。だけど、

「今年1年、元気に生かして頂いて有難う」と言わなくちゃいけないんでしょうね。だけど、私、凡人。そうは問屋が下ろしません。元気なのは良いけれど、ああでもないけど、こうでもないという悩み多き1年を送っています。

令和のスタートの今年、世界もわがニッポン国も、楽しいことはチョッピリ、つらくてやるせない事が多かった気がするけれど、ダーイ好きな井上陽水の「最後のニュース」という曲を思い出してなりません。

この曲は29年前に、報道番組「筑紫哲也 NEWS23」のエンデングテーマーに作られた曲だけれど、29年後の今、聞いても通じる曲だと思っています。

と、いうことで「夢旅人」の今年最後の締めは、この「最後のニュース」です。

 

最後のニュース(抜粋) 井上陽水

 

暑い国の象や広い梅の鯨

滅びゆくかどうか誰が調べるの

原子力と水と石油達の為に

私達は何をしてあげられるの

 

薬漬けにされて治るあてをなくし

痩せた体合わせどんな恋をしているの

地球上のサンソ、チッソ、フロンガスは

森の花の園にどんな風を送っているの

 

今 あなたにGood-Night

今 あなたにGood-Bye

 

機関銃の弾を体中に巻いて

ケモノ達の中で誰に手紙を書いてるの

眠りかけた男達の夢の外で

目覚めかけた女達は何を夢見るの

 

親の愛を知らぬ子供達の夢を

声のしない歌を誰が聞いてくれるの

世界中の国の人と愛と金が

入り乱れていつか混ざりあえるの

 

今 あなたに Good-Night

今 あなたに Good-Bye

 

今年、この「夢旅人」を読んで頂き有難うございました。

あなたにとって、来年も・・・というか、来年こそ良い年でありますようにお祈りいたします。

 

星新一 ComeBack

北九州市立文学館から、芥川賞作家・村田喜代子さんが語る「村田喜代子の文学いろいろ」の講座案内が届いた。

日本芸術院会員でもある村田先生は,1987年に芥川賞を受賞以来、諸々の賞を受賞しているわが街北九州市が誇る作家である。作家というと、近寄りがたい存在と思ってしまうけれど、村田先生はわが街に住んでおられるので、何度かお話を聞いたことがあるが、とってもお上手なうえに親近感がいっぱい!!!

そういう訳で講座に参加したいのはヤマヤマなれど、なにしろ全7回の講座で、永井隆の「長崎の鐘」・葉山嘉樹の「セメント樽の中の手紙」・アラン・ベネットの「やんごとなき読者」・松本清張の「黒地の絵」・スベトラーナ・アレクシェービッチの「チェルノブイリの祈り」というまさに文学っぽい講座がずらずら。

私、文学などという世界にほど遠い人間でしょ。こりゃ無理と思った・・・のではありません。なんと星新一のショート・ショート「おーい でてこーい」が9月に「終末の日」が11月の講座に取り上げられているんですね。

むかし昔その昔、私、星新一大好き人間。それで、星新一にかぶれている私は、今でも、宇宙人と空飛ぶ円盤の存在をかたく信じている訳だけれど、そういう話をすると「アホか」的眼差しで私を見るんですね。でもね、ここで言いたいけれど「宇宙人と空飛ぶ円盤はない」という証拠はないでしょ。だから居るんです。宇宙人と空飛ぶ円盤。

今や、星新一は忘れ去られた存在になっている思っていたのに、講座に取り上げた村田先生って凄い!!! 当然ながら、嬉しさいっぱいでこの2講座だけ申し込んだ次第です。

だけど星新一のショート・ショート、これっぽちも覚えていないでしょ。でも、私、早川書房が1969年に出版した「世界SF全集 全35巻」というのを持っていて、その28巻目が「星新一」。これに100のショート・ショートが掲載されていたので、受講する前に読まなきゃと、おっとり刀で読んだら「おーい でてこーい」が2編目に掲載されていました。村田先生の選択眼って凄い。

この講座では、取り上げた2編のショート・ショートの全文コピーが用意されていて、村田先生のお話がありました。「おーい でてこーい」のストーリーは、

ある村に、台風が去った後、1メートルの大きさの穴が出来た。底は暗くて深さが分からなかったので、最初に小さな石を投げ込んだら、落ちた音がしない。どうも深くて深くて底がないように思われたので、利権屋がその穴を買い取り「原子炉のカスを捨てるのに最適」と売り込んだら、原子力発電会社が争って契約。以後、外務省や防衛庁が機密書類投げ捨てたのをはじめ、役所や会社や個人までもありとあらゆる不要物を投げこみ、生産することばかり熱心で後始末に頭を使うのはだれもがイヤがっていたので、この問題も、穴によって少しずつ解決していくだろうと思われた。

ある日、建築中の高いビル鉄骨の上でひと休みしていた作業員が、頭の上で「おーい でてこーい」という声を聞いた。見あげた空には何もなかったが、小さな石が彼をかすめて落ちてきた。

これって、40年も前に書かれたショート・ショートだけれど、いずれわが身に振りかかってきますよという恐ろしい話ですね。現代にも通じるショート・ショート。星新一ってエライ。

この講座の最後に、村田先生が笑いながら「穴をテーマにした小説は、ほとんど男性の作家。この意味分かる?」と言われて、私、ニヤニヤ。受講生はほとんど女性だったので、皆さんキョトン風・・・。楽しい締めっくくりでした。

「終末の日」は、私が購入したSH全集が出版された後に、執筆されたショート・ショートだけれど、代表作となっているそうです。

平和で穏やかな町だけれど、町の全員が今日がこの世の終わりと知っていた。でも、これが運命だと思い、今迄あまりにも平和で幸福過ぎたのが、神々のお気に召さなったのだろうと思った。

終末の時がきた。空の一角に巨大な〝終〟という字。それと共に神の声が響いた。

「長いことご覧いただいた連続人形劇〝ちいさな町〟本日をもって終了させていただきます」続いてスポンサーの声に移ったが、すぐに途切れ非常で残酷であきっぽい神の手が別の局にすぐ切り替えてしまった。

ホント、まじ、これって私たちの世界で起こることかもしれません。星新一かぶれの私は、これと同じようなことをこのプログに何度か書いたことがあるんですから・・・。

遥か宇宙の彼方で地球という星をウオッチングしている「ナンジャモンジャ星雲」の「チチンプイプイ星人」が、「地球という星に棲息しているヒト科の生物が、やっりぱなし使い放題にこの星を酷使して他の生物や植物を滅ぼす可能性がある。怪しからん。邪悪なヒト科の生物を駆逐して地球という星を救済しよう」と、空飛ぶ円盤に乗ってくるに違いありません。ノホホンとしている場合じゃありませんよ・・・と。

星新一は、昔の人と思っていたけれど、村田先生は「星新一は現代に通じる」ことを証明してくれました。星新一かぶれの私、感謝感激です。

※ 村田喜代子 ーー 北九州市生まれ。女流文学賞・藝術選奨文部科学大臣賞・読売文学賞など受賞。著書は「鍋の中で」「白い山」「蕨野行」など多数。

星信一 ーー 1926年~1997年。1000以上のショート・ショートを書いた。日本推理作家協会賞・日本SF大賞特別賞を受賞。

 

耐えて 生きて・・・

台風19号上陸からもう1カ月。まだ2.700人の方々が避難生活を強いられているそうです。

家を失い生活の糧を失って、見通しの立たない避難生活の中で、

「今日、一日をただ生きていくだけで精一杯・・・」とTVで話された方の言葉の重さ・・・。

私、よく「今日も一日生きて・・・」などと、云うことがあるけれど、なんと軽々しい言葉だったと思わざるを得ません。

小林幸子が2012年に事務所のトラブルに巻き込まれていた時、さだまさしが彼女のために一日で書き上げた曲で、シングルで発売されました。

「茨の木」です。私、この曲が大好きです。

   茨の木   さだまさし

耐えて 耐えて 耐えて

生きて 生きて 生きて

それでも笑えたら良いね

 

季節の変わり目の雨が降る

坂道の上は霧で見えない

母の夢を見た

ただ笑っていた

坂道もいつか終わるよ

 

名も無い花などないように

喩え誰にも気づかれなくても

必ず花は咲く

それでいいじゃない

いつか花は咲く

それでいい

 

耐えて 耐えて 耐えて

生きて 生きて 生きて

それでも笑えたら良いね

 

季節を疑る私がいるから

明日を疑る時がある

母の夢を見た

ただ笑っていた

季節もいつか変わるよ

 

頑張り過ぎない諦めない

夢だけは決して捨てない

いつか明日は来る

それで良いでしょう

いつか明日は来る

それでいい

 

耐えて 耐えて 耐えて

生きて 生きて 生きて

それでも笑えたら良いね

 

耐えて 耐えて 耐えて

生きて 生きて 生きて

それでも笑えたら良いね