私の好きな詩人、茨木のり子さんが2月19日亡くなった。79歳だった。
彼女の代表的な詩「自分の感受性くらい」は
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
という言葉で終わっているが、私はこの詩を読んだとき、さびついた心をドカーンと殴られたような気がしたものである。でも、時すでに遅し。私の心のさびはパラパラとしか落ちず「反省だけなら猿でも出来る」で終わってしまった。
詩人、大岡信は彼女の訃報を聞いて
「日本の女性詩人で一番スケールが大きく、姿勢がすっきりと立った詩を書いた人だった」と話したとおり、りんとして感性がはじけるような詩が多いけれど、やさしく愛を伝える詩も書いている。
ところで、昨日は全国的に満月でホワイトデイ。本命チョコのお返しで、倍返しのチョコ・・・・・いや、心返しのチョコをもらいましたか。
そんな「ヤッタァ!!!」と、幸せいっぱいのあなたに、彼女の詩をどうぞ・・・・。
私のカメラ
眼
それはレンズ
まばたき
それは わたしの シャッター
髪でかこまれた
小さな 小さな 暗室もあって
だから わたし
カメラなんかぶらさげない
ごぞんじ? わたしのなかに
あなたのフィルムが沢山しまってあるのを
木漏れ陽のしたで笑うあなた
波を切る栗色の眩しいからだ
煙草に火をつける 子供のように眠る
蘭の花のように匂う 森ではライオンになったっけ
世界にたったひとつ だあれも知らない
わたしのフィルム・ライブラリイ―――1965年刊行 詩集「鎮魂歌」より―――