8月15日。今日は終戦記念日。このプログ「夢旅人」を2004年に開いて以来、毎年8月15日には戦争や原爆にちなんだ詩を15回にわたって掲載しています。2004年8月に掲載した第1回目の詩は美空ひばりが歌った「1本の鉛筆」です。
9日の長崎原爆の日に、田上長崎市長が17歳の時に被爆した山口カズ子さん(91歳)の詩を紹介しています。私も、つべこべ言葉でしゃべらなくても、詩は読む人の心を打つものだと思い、毎年この日は詩を掲載することにしています。
と、云うことで、今年の詩は茨木のり子さんの「「木の実」です。中央公論社から発行された「現代の詩人7巻 茨木のり子」にこの詩が掲載されています。彼女がこの詩についての想いを、巻末に書いておりますのでそれも合せて紹介します。
木の実 茨木のり子
髙い梢に
青い大きな果実が ひとつ
現地の若者は するする登り
手を伸ばそうとして転がり落ちた
木の実と見えたのは 苔むした一個の髑髏(ドクロ)である
ミンダナオ島 26年の歳月
ジャングルのちっぽけな木の枝は
戦死した日本兵のどくろを
はずみで ちょいと引掛けて
それが眼蒿であったか
鼻孔であったかはしらず
若く逞しい1本の木に
ぐんぐん成長していったのだ
生前 この頭を かけがえもなく いとおしいものとして
搔抱いた女が
きっと居たに違いない
小さな顳顬(コメカミ)のひよめきを
じっと視ていたのはどんな母
この髪に指からませて
やさしく引き寄せたのは
どんな女(ヒト)
もし それが
わたしだったら・・・・
絶句し そのまま1年の歳月は流れた
ふたたび草稿を取り出して
嵌めるべき終行 見出せず
さらに幾年かが 逝く
もし それが わたしだったら
に続く1行を
遂に立たせられないまま
※「木の実」について
この詩の続きを・・・書き始めて頓挫し、草稿はそのままにしておいた。時を置いてまた読み返し、3、4行書いては頓挫し、またそのままにしておくとういうくりかえし。・・・激越な言葉を連ねれば連ねるほど軽薄になった。では、どう言えるだろうか? 思いは複雑に錯綜して、そして言葉は出てこなかった。詩を書くとき、すんなりと出来あがることは珍しく、常に烈しい内部葛藤を伴うが「木の実」の場合、それが一層纖烈だった。1年たっても2年たっても3年たっても一篇の詩をなすことができなかった。
云いつくせなかったせいだろうか、青い頭蓋骨は私の胸に棲みついてしまい、折にふれ、いまだに対話を挑んでくる存在と化した。
茨木のり子ーー1926年~2006年。詩人、エッセイスト、童話作家、脚本家。