はなし言葉でどうぞ

唯我独尊のアメリカの大統領トランプさんが、どうも落選したみたい。トランプさんのムキになって放つ罵詈雑言・・彼、マシなことも話しているんでしょうけれど、ニッポンではニュースになりませんからね・・を聞いていると、いくら景気が良くなったと言っても、世界の超大国の大統領とは信じられません。

競争の激しい実業界では、トランプさんも、これでなくちゃノシ上がることが出来なかったのでしょうけれど、どうも彼は実業家から大統領に変身することが出来ず、実業家の延長で大統領を演じたに違いありません。

トランプさんの大集会では、聴衆の歓喜に合わせてステージの上で得意げにタップを踏んだりして、まるでアイドルのコンサート。ウーン、これが選挙演説会なんて・・・。ヒンのない国のリーダーのトップとして、絶対、ダントツ1番の位置を誇ることでしょう。

私は、昔むかしその昔、私がすっごく若い時代・・・1950年から60年にかけての私の青春時代には、テレビでは「奥様は魔女」とか「ララミー牧場」とかが放映され、エルヴィスの「ラブ・ミー・テンダー」とかパット・ブーンの「砂に書いたラブレター」などの曲が流れ、ハッピイエンドのハリウッド映画が上映されていたあの時代・・・そう、アメリカは「デモクラシーが確立した良識の国」だったんです。私の憧れの国だったのですね。

私、この「古き良き時代のアメリカ」が染みついているから、殺伐とした「デモクラシーなんかクソくらえ」・・・エート、これじゃトランプさんと同じですから、訂正して「デモクラタシーなんかアチ行けポイ」の国になったとは信じられないくらいです。

でも、トランプさんが退陣したとしても、なにしろ、トランプ党の熱狂的な信者さんが残されて、新たな断絶を生むのでしょうから、いくらバイデンさんが頑張っても「古き良き時代のアメリカ」は夢のまた夢の世界なんでしょうね。

今度、大統領となるバイデンさんと副大統領のハリスさんの挨拶を聞いて目からウロコ!!! 我がニッポン国のクールでヤリ手のソーリの原稿を見ながらの挨拶とはえらい違いです。

原稿なしの演説は「話しことば」、原稿を見ながらの演説は「読みことば」でしょ。アメリカの正副大統領の挨拶を聞いていると、アレをするとかコレをするとかという話はなかったけれど、ビジョンと理想を語り聞く人の心を動かすものがあったんですね。この共感力を生むのは、相手に向かって話してのいるからだと思います。

それに比べて、我がニッポン国のクールでヤリ手のソーリは、原稿を読んでいるだけでしょ。キャリアのお役人さんが書いた原稿を代読するだけのソーリって、なんだかみすぼらしく見えてお可哀そうデス。

折角、念願のソーリになったのですから、アレをするとかコレをするとか国民を喜ばすことを羅列するのも大切だけれど、やっぱりビジョンとか理想を語ってもらいたいものです。

前ソーリの退任演説は、一見、原稿なしでエンエンと話しているように見えたけれど、あれって、透明の板に文字を写すプロンプターが横に置いてあったんだすね。だから、チョット見では、話しているように見えたけれど、読むだけですからエンエンとウン十年もソーリをやったのに、バイデンさんやハリスさんのように心を打つものがなかったのです。ハイ、残念至極・・・。

ウーン、やっぱりアメリカって捨てたものじゃないんですね。トランプ劇場が幕を下ろしてヤレヤレの雰囲気ですけれど、我がニッポン国のクールでヤリ手のソーリも、国会ではお役人さんに深夜残業などさせずに、答弁の骨子だけ書いてもらって、後はソーリご自身の言葉で話してもらいたいものです。

何? 「それはムリ。ソーリは生真面目人間だから、間違いないように読んでいる」だって・・・。ウーン、では願望を込めて・・・。

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