ああそれなのに・・・

関東大震災を経験したエッセイストとして有名な寺田寅彦(1878年~1935年)に「天災は忘れた頃にやってくる」という警句があるけれど、今や「廃語」となり、最近は「天災はいつもどこかにやってくる」という時代になってしまった。

私が住む北九州は平成29年に「九州北部豪雨」、平成30年には「西日本豪雨」、それに今年は線状降水帯にドカドカドカと取りつかれて「居座り西日本豪雨」。「天災はいつも九州にやってくる」という訳で、天を仰いで嘆くばかり・・・。

もっとも私の住む街北九州市は、九州北部のそのまた北のトッペンにあるからいつも線状降水帯すれすれの所にあり、3回とも、空は梅雨模様だけれどドカ雨とかドカ風も吹かずフツーの梅雨。

でも、TVで罹災した方々の声を聞くと胸がつまり、もし、私だったら・・・と、思うと言葉がありません。

いつも災害が起きたら言われるのは「想定外」。そして「こんな被害を受けたのは、生まれて初めて」と、ほとんどの人が話しているのを聞くと、過去の経験はもはや通用しなくなっているんですね。

これって、古き良き時代にあった自然が壊れつつあるということなんですね。遥かな昔、ウン千年前にあった地球上の自然と人間の領域、その領域を人間が拡大させていき自然の領域を侵かしてきたということに違いありません。

その自然の壊されていく悲鳴が、想定外の被害となって現れてきているような気がします。

自然による最大の被害は、東日本大震災による原子力発電所の崩壊ですが、この被害は、インチキ設計や手抜き工事による崩壊ではなく、建設当時の「これなら絶対に大丈夫」という「お墨付き」を得て建設されたものなんですね。

でも、そのお墨付きを超えた津波が襲ってきて「信じられない」と云ったのにもかかわらず、また「これなら本当に大丈夫」という「新たなお墨付き」を作り、この「新たなお墨付き」を取ったら原子力発電所を続けてもいいいよということになりました。

その「新たなお墨付き」は破られないと、わがニッポン国のオエライさんは確信を持っているようですが、自然が壊れつつあるのに、それって大丈夫なの???

ドイツやイタリア、スイスなどは「ヤバイ」と思ってさっさと原発を止めているに・・・。
わがニッポン国は世界で唯一の原子力の被害を受けて、その痛さをイヤというほど思い知らされているのに・・・。
わがニッポン国は海に囲まれ、地下に地熱エネルギーがいっぱいある火山が多い国なのに・・・。

どうして風力発電や地熱発電を作るように方向変換しないの???
電力会社が「新たなお墨付き」を得るためのナン千億円のお金があるのだったら、風力発電や地熱発電の開発にどうして回せないの???
と、私、わがニッポン国のオエライさんみたいにアタマも良くないし、それに電力会社と縁もゆかりない人間だから・・・つい考えてしまいます。

まさか、わがニッポン国のオエライさん達が、原発がなくなると赤字になると怯えている電力会社に忖度しているなんて思いたくないけれど・・・。

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