8月15日。今日は「終演記念日」。昔むかし「敗戦記念日」と言っていたらしいけれど、これってかっこ悪いでしょ。だから、いつの間にか「終戦記念日」となったようです。
今や、終戦の日のことを覚えている方はそのうちいなくなり、現実感はなくなって「歴史上の出来事」になってしまうのでしょうけれど、その日のことを詠んだ詩があります。この詩は1951年、67年前に書かれたものだけれど、その時点で、もう石垣りんは「その時が来たのだ」と、書きました。そして、
“すべてがそうなってきたのだから仕方がない”と・・・。
今、2018年。石垣りんが、この詩の最後のフレーズに書いたとおりになってしまったようですね。
なんと無力・・・。
雪崩のとき 石垣 りん
人はその時が来たのだと、という雪崩のおこるのは雪崩の季節がきたため と。武装を捨てた頃のあの永世の誓いや心の平静世界の国々の権力や争いをそとにしたつつましい民族の冬ごもりは色々な不自由があってもまた良いものであった。平和永遠の平和平和一色の銀世界そうだ、平和という言葉がこの狭くなった日本の国土に粉雪のように舞いどっさり降り積もっていた。私は破れた靴下を縫い編物などしながら時々手を休め外を眺めたものだそして ほっ、とするここにはもう爆弾の炸裂も火の色もない世界に覇を競う国に住むよりこのほうが私に合っていると考えたりした。それも過ぎてみれば束の間でまだととのえた焚木もきれぬまに人はざわめき出しその時が来た、という季節にはさからえないのだ、と雪はとうに降りやんでしまった降り積もった雪の下にはもうちいさく 野心や、いつわりや欲望の芽がかくされていて“すべてがそうなってきたのだから仕方がない”というひとつの言葉が遠い嶺のあたりでころげ出すとしかたがないと、落ちてくる。ああ、あの雪崩、あの言葉のだんだん勢いづき次第にひろがってくるのがそれが近づいてくるのが私にはきこえる私にはきこえる
※ 石垣りんーー1920年~2004年。日本興業銀行に入社、定年まで勤務する。「歴程」同人、19回H賞、12回田村敏子賞など受賞。掲載した詩は、石垣りん詩集「私の前にある鍋とお釜と燃える火」より。