私、東京で14年間,華の独身生活・・・ン? 訂正、単身生活をしていた時は「目黒ハイキングクラブ」という40数年の歴史をもつ山岳会に所属していたけれど、60歳でリタイヤして、我が街北九州市に帰ってきた時、どこかの山岳会に入ろうとしたら、女房が
「あなたは、もう年寄り。歩こう会相当の年齢よ。いい加減に目を覚まし、山岳会なんてあきらめなさい」と、きっぱり言う。
私は、ミステリイ作家パーネル・ホールが、小説「依頼人がほしい」の中で
人生にはついついわすれがちなことがある。いかに明々白々であり、いかに単純素朴であり、くりかえしくりかえし、わすれてはならじと自分にいましめても、わたしがついうっかりするのは、なにがあってもけっして妻を相手に議論をしようとするな、ということだ。
と、いう文章を心に刻んでいるので「ハイ、ハイ」と答えてしまった。
(ここだけのは話だけれど、私的には「ハイ」はよく承知したうえでの「ハイ」。「ハイ、ハイ」は仕方なくOKしたという「ハイ、ハイ」である。最近はなんと「ハイ、ハイ」が多いこと。お察しのこと・・)
と、いう訳で、帰郷してから就職した職場の「歩こう会」に入会。自称ショボショボ歩いていたけれど、66歳で退職した後、再就職した職場では「歩こう会」がなかったので、55年の歴史を誇る「小倉歩こう会」に入会することにしたのである。
2006年に入会し、10年の経歴を誇るのはいいけれど、初年度21回の例会に対し参加したのは5回、以来10年間の平均参加回数は4回という落ちこぼれとなっている。
「フーン、そう八さんってサボリマンなのだ」って・・・。
とんでもない、これって、私の名誉のために言ってっておくけれど、仕事&アレコレの都合で参加出来なかっただけで、決してサボリマンではない。
まあ、正直言えば、クラブのきまりでは雨でも傘をさして歩くことになっているけれど・・・ウーン、私、雨嫌人間。という訳で詳細は以下略。
クラブでは、毎年1回バスハイクに行くようになっていて、私はまだ1回しか参加したことがなかったけれど、今年は運が良いことには、その日のスケジュールは真っ白。
「歩こう会」では、平均10キロは歩いているけれど、「バスハイク」はバスがせっせと数10キロハイクして、メンバーは散策するだけである。なんと幸せ溢れ労力なしのラッキーな例会である。
今年のバスハイクは福岡県朝倉市の「秋月城址」。ここは、鎌倉時代から江戸時代にかけて栄えた城下町で小京都と言われ、桜や紅葉の名所とされている所である。
城跡はないけれど、13世紀初めに築かれ、秋月氏16代とその後の藩主黒田長政12代の歴史を眺めた秋月城の黒門が残されている。
華やかに紅葉に染めらた城址を歩くと、ビックリしたことには、ここは九州の片田舎と思っていたところが、なんと外国人がいっぱい。顔を見ただけでは、一見ニッポン人風らしいけれど、声高に外国語が飛び交って、日本に居ながら、雰囲気は異国風。我々は、眼で愛でながら歩いてけれど、周りの外国人は口で愛でながら歩いている。
古城の雰囲気ではないと思うけれど、我々ニッポン人も外国の観光地に行くと、ツアーの旗を高々と立てて、ゾロゾロと歩きながら
「すっごい!!!」とか「きれい!!!」とか興奮して叫んでいるはずだから、これも仕方あるまい。
紅葉の散る下で、シートを広げ、仲間とお酒を飲みながらや弁当をおいしく飲んで食べておしゃべりをする。どうも弁当を食べているのはニッポン人だけで、外国人は金持ちらしく、きっと料亭かレストランで食べているのだろう。しばし、雰囲気はニッポン風。
城址につながる紅葉に囲まれた道の両側には出店が並んでいて、おばちゃんが「取れたての柿だよ。一袋200円」と話しかけてきたので買ったところ、なんと大きな柿が8個も入っている。帰って食べたらおいしい。「高いけどおいしい」のは当たり前だけれど「安いけどおいしい」ってのは、私の趣味にぴったり。秋月城址、大好き。
帰る途中、有名な酒造所によって、タダの酒&焼酎&甘酒を飲み、養蜂場によってタダの蜂蜜をなめ、無事帰り着きました。
今年の紅葉は、どこも見事だったみたいだけれど、「秋月城址」が一番。
エ、何? 「よその紅葉を見ないで、よくそんなこと言えるわね」って。
ウン、「うちの孫が一番かわいい」って言うでしょ。これと同じなんです。ハイ。