朝日新聞に夏目漱石の「それから」が連載されているけれど、我が北九州市立文学館でも夏目漱石没後99年を記念して特別企画展「夏目漱石ー漱石山房の日々」が開催されることになり、その開会式が5月2日に開かれた。
来年が漱石没後100年。来年は各地でいろいろなイベントが開かれるだろうけれど、我が北九州市は、全国に先駆けて漱石没後99年展を開催。これって、すっごくニクイ発想ですね。きっと今川英子文学館長の発想だろうけれど、スゴーイの一言。
漱石展を開催するくらいだから、我が街北九州と漱石とは、なにか特別な関係があると思うでしょ。ところが、漱石が熊本第五高等学校時代に、北九州市に1泊して別府に行ったという関係だけ・・・たったこれだけのささやかな関係だけで、公益財団法人日本近代文学館・県立神奈川近代文学館・公益財団法人神奈川文学振興会・岩波書店・小宮豊彦の資料を収蔵する福岡県みやこ町歴史民俗博物館等から、ズラズラーと貴重な資料を出品してもらって開催にこぎつけたというのも、これまたスゴーイ・スゴーイ。
これもきっと、今川英子文学館長の努力の賜物でしょうね、きっと。
開会式には、北橋北九州市長の挨拶の後、中野梅光学院大学学院長の祝辞があり、今川英子文学館長の挨拶があったのだけれど、その中で今川館長がつらく苦しい時に、漱石の有名な「むやみにあせってはいけません。牛は超然として押して押していくだけです。うんうん死ぬまで押すのです」という言葉を先人から聞かされ、そして立ち直ったという話を涙ぐみながら話されたのが印象的だった。
私のような平平凡人からいえば、とっても偉い文学者である今川先生も、そんなナイーブな面があるなんてと、親近感溢れた気がして・・・などと言ったら叱られるかもしれませんね。ごめんなさい。
「牛は超然として・・・」という言葉は、漱石が芥川龍之介に出した書簡の中の文章だけれど、私などは「ウンウン押して・・・ダメ」なら、ハイ諦めますという根性ゼロタイプだから、こんなの言葉を聞くと「ギクッ・・・」としてしまう。
田中慶太郎さんの「命を磨く言葉」というプログに、この言葉を引いて「人生に即効薬を求めるな」と書いてあったけれど、現代は、政治の世界も含めて「せっかち過ぎる」みたいである。ホント、せっかち人間でもある私は牛になりたい。
最後に、劇団「青春座」の上西昭南さんが、漱石の「草枕」の冒頭部分の朗読があった。「山道を登りながら、こう考えた。智に働けば角がたつ・・・」という有名な書き出しの部分は有名だけれど、上西さんが朗読された最後の箇所について、これも、冒頭の文章のように名言と思ったので、ここに記すことにします。
世に住むこと20年にして、住むに甲斐ある世と知った。25年にして明暗は表裏の如く、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。30の今日はこう思うている。――喜び深きとき憂いはいよいよ深く、楽しみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り離そうとすると身が持てぬ。片付けようとするとすれば世が立たぬ。金は大切だ、大事ものが殖えれば寝る間も心配だろう。恋はうれしい。嬉しい恋が積もれば、恋せぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。充分食えばあとが不愉快だ。
ネ、名言でしょ。
開会式が終わって石田忠彦鹿児島大学名誉教授から「愛を追う漱石」と題して記念講話があった。
漱石を「人生ウンヌン・・・」から話されると、カタイ話に弱い私はムズムズしてくるけれど「恋・愛」大好き人間の私だから、胸をときめかせて聞いたのは言うまでもない。
漱石が追い求めた愛のテーマとして、漱石の作品を「神秘的な愛」「現実の愛としての姦通」「愛と嫉妬と我執」に分けて話されたが、漱石歿して99年、永遠のテーマであることに改めて感じた次第である。
この企画展のために「没後99年 夏目漱石ー漱石山房の日々」と題して66頁の小冊子が発行されたけれど、これがコンパクットの纏められていて、いっぺんに漱石通になってしまった。どうもありがとう。
※ 今川英子ーー北九州市立文学館館長。林芙美子研究の第一人者。著書に「林芙美子巴里の恋」(中央公論新社)など。「林芙美子全集全16巻」編集。他に共著、論文、エッセイなど多数。