私が無駄に過ごした今日は・・・

 『私が無駄に過ごした今日は、昨日 死んだ人が痛切に生きたいと思った一日である』 ドキッ!!!
 これは、先日北九州市小倉区にある浄土真宗本願寺の小倉御坊・永照寺で行われた「引上会報恩会」で頂いた大型マッチに書かれていた文章である。
 そういえば、我がヒーローが撃って撃って撃ちまり、自分には敵の弾が絶対当たらないという「ドンドンパチパチバッタバッタ映画」を見て、いつもスカッと爽やかコカコーラ的気分に浸っているけれど、これって、ひよっとしたら無駄に過ごした時間?
 ウン、そう云えば、私は読書が趣味だったので「後期高齢者」になった時・・・ウーン、「後期高齢者」って政府推奨の言葉だけれど、馴染まないなァ。ヤッパ政府のオエライさんに申し訳ないけれど、言い方を変えて・・・私が老いて悠々の時を持てるようになった時、無駄に過ごすことがないようにと、若い頃から本を買いためていたのである。
 いわく「世界ミステリ全集全18巻(早川書房)」「世界SF全集全35巻(早川書房)」「異色作家短編集全18巻(早川書房)」。
 カタイ本では「漱石文学全集全11巻(集英社)」「谷崎潤一郎新々訳源氏物語全11巻(中央公論社)」「世界教養全集全34巻(平凡社)」「日本の歴史全18巻(集英社)」「叢書 文化の現在(岩波書店)全13巻」。それに極め付きは「世界の文学 ナント全100巻((中央公論社)」
 これ全て、ハードカバーの函入りのブ厚い本である。他に新書版で「メグレ警視シリーズ全49巻(河出書房新社)」文庫本で「日本探偵小説全集全12巻(東京創元社)」
 これって、自慢じゃないけれど、買った時ペラペラと頁をめくっただけで1頁も読んでいない。今、ため息をつきながら数えてみると、全部で318冊。
 それに、である。あまり大きな声で云えないが、リタイヤしてから聴こうと若い時からFMをエアーチェックして、せっせと録りだめしていた60年~80年代のオールデイズやフォーク&ニューミュージックの500本あまりのカセットテープを、後生大事に保管している。 
 私は、広縁でデッキチェアに横たわり、一日中録りだめしていたカッセトテープをBGMで聴きながら、待望の全集モノを片っ端からコオヒイを飲みながら読むというのが、私のあるべき素敵な未来像であった。
 ところが、我が息子達は、早くから
「その頃はテープは劣化しているし、目はかすんで本など沢山読める訳ないから、ムダムダ」と、エラソウな口をきいていたけれど、どうも、息子達は先見の明があったような気がする。
 と、云うのは、今、読んでいるのはミステリィの翻訳ものが多いけれど、カタカナ名前は「登場人物」の欄を何度も見直さなければチンプンカンになるし、4~5日後に続きを読もうとしたら、ストーリイを忘れてしまい10頁くらい前にさかのぼって読み直さなければならぬ。
 それに、若い頃は文庫本なら、わき目もふらず3時間位で最後まで読みとおしていた私が、なんと、今や2時間も読んだら、オシッコに行きたくなったり、うちのカミさんとどうでもいい会話を取り交わしたくなったり、普段は見ないTVを見たくなったりして、最後は
「読むのヤーメタ」となってしまう。それに、私は本屋さんに行くと、つい本を買ってしまうという悪癖があるものだから、机の横にツン読された本の標高は一向に低くならない。
 ホント、私の素敵な未来像はどこに行ったの?
 私が、カタイ本を買ったのは、「後期高齢者」・・・エーット、すみません。訂正させて頂くことにして・・・素敵な老後を迎えたら「知性と教養」にあふれた人間に変身して、若い人から憧れの眼差しで見られようと思って買った訳だけれど、この際、野望は捨てて、カタイ本は永久保存版として本箱に飾っておくしかあるまい。
 エ? 何? 
『私が無駄に過ごした今日は、昨日 死んだ人が痛切に生きたいと思った一日である』でしょ。無駄に過ごさなければ、読めるはずよ・・・って。
 ウーン、そう云われても、スカッと爽やかコカコーラ的気分になるし、無駄も人生に必要なんだと思うけどなァ・・・。
 「だってソウハチさん。無駄な映画ばかり見て読みもしない無駄な本を買って聴きもしない無駄なテープをためこんで、無駄ばっかり・・・」
 だってねェ・・・・。

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