今日はゴールデンウイークの中日。9連休のアソビ人間も無連休のシゴト人間も毎日が日曜日のオヒマ人間も、気分はチョッピリ中休み。
TVのニュースを見ていると、国内をウロウロする人は、どうも実家に帰るというのが多いようである。
故郷は遠きにありて思うものというように、父や母についても、一緒に住んでいる時はうとましく思っていても、離れると初めてその『ありがたさ』が分かってくるような気がする。
だから、歌謡曲で母を歌った曲が多いのは当然だけれど、ニューミュージックの世界でも井上陽水の「人生が二度あれば」とか、さだまさしの「無縁坂」や「秋桜」、海援隊の「母に捧げるバラード」に加藤登紀子の「帰りたい帰れない」等の名曲がいっぱいある。
ところが、この陽水の「人生が二度あれば」という曲にちなんだ特集が、小説新潮の5月号に組まれ、井上陽水とのロングインタビューと浅田次郎など5人の作家の短編小説が掲載されていた。
この曲は、陽水がアンドレ・カンドレから名前を陽水と変えて35年前に再デビューした時の曲である。
人生が二度あれば 作詞・作曲 井上陽水
父は今年二月で六十五
顔のシワはふえてゆくばかり
仕事に追われ
このごろやっと ゆとりが出来た
父の湯呑み茶碗は欠けている
それにお茶を入れて飲んでいる
湯呑みに写る
自分の顔をじっと見ている
人生が二度あれば この人生が二度あれば
母は今年九月で六十四
子供だけの為に年とった
母の細い手
つけもの石を持ち上げている
そんな母を見てると人生が
だれの為にあるのかわからない
子供を育て
家族の為に年老いた母
人生が二度あれば この人生が二度あれば
父と母がこたつでお茶を飲み
若い頃の事を話し合う
想い出してる
夢見るように 夢見るように
人生が二度あれば この人生が二度あれば
このインタビューをした編集者は「父と母がこたつのでお茶を飲み・・・」のフレーズの所で、涙が止まらなくなったことがあったそうである。
陽水自身もコンサートでこの曲を歌った時、込み上げてくるものがあって、歌えなくなったことがあったようであるが、この曲を聴いて感情が揺すぶられるのは、五十代・六十代の人に多いそうである。
私が、この曲を初めて聴いた時は、私の父も母も生きていて、官吏だった父は額と頭の境界がなくて・・・まあ、要するにハゲていた訳だけど・・・いかにも年老いた父にピッタリの曲だったものだから、
「ウーン、そうなんだ」とジーンときたものである。そして、この曲を聴くたびに父や母のことを思い浮かべた訳だけれど、このインタビューを読んでいる内に、重大な事実に気がつき愕然として驚天動地・茫然自失・・・。
と云うのは、私、言いたくはないが、今年69歳。この曲に歌われている父より、なんと4歳も年寄り!!!
「親父も、そうだったなぁ・・・」なんて感慨に耽っている場合ではないのである。湯呑みなど覗いて、自分の顔をじっと見ているのは私の父ではなく、私でなければならなぬ。「うっすらハゲ模様」の私だけれど「すっかりハゲ模様」の父と同じ年代になってしまっているのである。
ウーン もうトシ!!!なんだ。
しかし、まだ湯呑みを覗いたことはないが「人生が二度あれば」と夢見たことはある。
私、大学4年生の時、東京の大手の会社に就職が内定していたけれど、入社する前に行われた身体検査で結核に罹っていることが判明、採用が取り消されてしまった。それで休学して泣くなく九州に戻り入院、その後、病気が良くなって復学し卒業はしたものの、東京での就職は難しく九州で就職することにしたのである。
もしもあの時、結核に罹っていなかったら、東京で
「部長から気に入られて、そのビジーンの娘と結婚し出世街道をホイホイ」とか
「職場のビジーンの恋人の父は、会社の社長。是非にと乞われて会社を辞め、社長を継いでホイホイ」とか
「ビジーンの恋人の実家は、中央区にビルを幾つも持つ資産家。結婚したら、家賃収入ガッポリ貰ってホイホイ」と、うちのかみさんには内緒だが、どうころんでもバラ色のホイホイ人生が繰り広げられていたに違いないのである。
ホント、残念である。「人生が二度あれば」もう一度、22歳のあの日に戻りたい。