世間はサッカー一色。いや訂正、サッカー万色。
私は、生粋のスポーツ音痴なので、するのは勿論見るのも苦手である。だから、TVのスポーツ中継で見るのは、ジャイアンツが勝っている試合だけ。サッカーにしろマラソンにしろゴルフにしろ、その他もろもろのスポーツの試合は見たことがない。
大体、サッカーはウロウロ、アッチコッチ走り廻って忙しいことこのうえもない。アッチでウロチョロしていると思ったら、アッという間に、コッチに来て、アレヨアレヨという間にボールが入ってしまう。チットも目が離なせないので、油断も隙も出来ない。私は油断も隙もある人間なので、とてもじゃないがサッカーは体質的に合う訳がない。
それに、TVなどで作戦がどうのこうのと言っているが、試合が始まったら、作戦なんて考える暇もありやしない。選手のその瞬間、瞬間の判断力・瞬発力が、試合を左右しているのではないかと思われる。それに比べると、野球は監督の作戦が大いに試合を左右する。我々もエラそうな顔をして、アアでもないけどコウでもないとヘ理屈をこねて、監督の真似事さえできる。
そう考えると、野球はサッカーと違って、なんでも有りの余裕のスポーツである。チョット目を離しても、試合の流れは分かる。だから、何かほかの事をしながら試合を見ることができる。まして、敵が打つ順番の時は、うまくいっても0点、下手すれば敵に点が入るので、そういうイヤなシーンは見たくない。だから、オシッコに行ったり、新聞を読んだりして、有意義に時を過ごすことが出来る。
余裕のない人生を生きているのだから、せめて、スポーツ鑑賞位は余裕のある見方をしたいものである。と、まあ、私はかくも高尚な哲学を有しているけれど、年はとってもミイハー。世間の話題にヒケをとらないように、ニッポンが出る時のワールドカップだけは見ることにしている。
私は、サッカーのルールは敵の陣地にボールを入れたら勝ちということぐらいしか知らない。しかし、あまり大きな声で言いたくはないが、私は、ニッポンは、負けてもともと、勝てばラッキイと思っているのである。
だって、なんたって、ヨーロッパ人や、アフリカ人、南米人は肉食人種である。アジヤ人は草食人種。ナンジャモンジャ星雲のチチンプイプイ星人が、ニッポンの選手にチチンプイプイと呪文を唱えて、スーパーマンの爪の垢を煎じて飲ませてくれるならともかく、彼らの身体・体力・スタミナ・スピード・瞬発力にかなう訳がない。
それに、ワールドカップが始まったのは1930年。サッカー協会の川渕会長が
「1960年にドイツのスポーツ学校に行ったら、芝のグランドが8面もあって、子供が玉を蹴っていた。ジャイアンツの多摩川グランドさえ土のグランドだった時代なので、すごくショックを受けた」と書いているように、ヨーロッパ人は、スポーツと言えばサッカー。子供の頃からズーッと、づーっと、サッカーまみれになっていると言っても過言ではない。
ニッポンでJリーグが始まり、サッカーが認知され始めたのは1993年。なんと60年あまりのハンデイがある。この60年という歳月はづっしりと重く大きく、なかなか取り返しがつかないのも当然といえよう。
そんな訳で、我がニッポンは、負けてもともとなのである。そして、ヨーロッパ人が、我がニッポンのことを相撲と野球の国、世界に冠たるサッカー後進国と思っているのも当然であろう。
だけど、『愛国心』論争なんてカタイ話はさしおいて、「ニッポン頑張れ、ニッポン頑張れ」と、ニッポン国中一丸となって盛り上がるってことは素敵なことである。・・・ などと思って、試合には負けたけれど、
「マ、イイカ」とヤセ我慢して早く寝ましょうね。