先日、北九州市立美術館分館で、高倉健の3回忌を迎えるのを期に追悼特別展「高倉健」が開催され、その開会式にイソイソと出席した。
私、弾が飛び交うドンパチ洋画専科なので、邦画は見ないことになっている。だから、
「どうして高倉健にイソイソなの?」と言われるかも知れないが、彼は我が街北九州の出身だし、私の出身校・明治大学の商学部商学科の7級上の先輩で、彼が下宿していた永福町に私も下宿していたという自称フーカイ関係があるのである。
アー、それなのにそれなのに、である。彼が出演した映画で、映画館でお金を払って見たのは「あなたへ」だけで、他はTVで見た「鉄道員」と「幸福の黄色いハンカチ」。ホント、高倉健さん、ごめんなさいね。
開会式では、北橋市長の挨拶に続いて、安川電機元社長で北九州商工会議所会頭の利島康司氏が挨拶。利島氏が2010年に会頭に就任された時、北九州市のプロモーションビデオに高倉健さんを起用したらという話をしたら、ローカル新聞にそのことが掲載されたとのことです。
すると高倉健さんからその記事をうれしく読んだとの電話があり、手紙までくれたとのことでした。高倉健さん、東京に居ながら、ちゃんと地元のローカル新聞まで購読されていたんですね。
それから、手紙のやり取りが始まって、映画「あなたへ」のロケで北九州に来た時、安川電機に寄られたとのことで、高倉健さんとのいろいろなエピソードを話してくれました。
利島会頭の話や開会式で頂いた小冊子・高倉健北九州メモワール「そこに、健さんがいた。」を読むと、律義で心くばりの行き届いたやさしい高倉健さんの人柄が偲ばれるけれど、放映されていた任侠映画の映像やポスターを見ると、
「スゴーイ!!!」の一言。まるで人が違ったみたい。さすが名優!!!
私の大好きなドンパチ映画と切ったはったの任侠映画は、相通じるものがあったんだと、今更ながら気が付いた次第である。
会場では、見るだけで2時間もかかると言われたので、チョッピリしか見ることが出来なかった出演作205本の抜粋映像と、「網走番外地」「昭和残俠伝」などの予告編、ほかに彼が愛用した脚本や小道具、スチール写真にポスターやプレスシートといった宣伝物などの貴重な資料が約200点展示されていた。
それに、巡回展示部分とは別に「北九州コーナー」が設けられていて、古い映画のポスターなど約4万点の映画関連資料を所蔵しているわが市が誇る「松永文庫」から寄せられた高倉健さん関連の資料も数多く展示されていて、私、高倉健にスッポリはまってしまった。
小冊子に、若い頃から高倉健にはまっていた詩人平出隆さんが、1970年頃、池袋文芸座のオ-ルナイトで「昭和残俠伝」5本立てを見に行ったと書いていたが、私も、池袋文芸座にはよく行ったけれど、高倉健の任侠映画には出会うことがなかったのである。
それで、凛とした着流し姿を見る機会はないと思っていたら、なんと小倉昭和館で来場者から募った「私が選ぶ健さん映画」を8本上映することが決まり、その第3週に「新網走番外地 さいはての流れ者」と「緋牡丹博徒 二代目襲名」を2本立てで上映すると、場内に掲示されていた。
なんとか、寡黙の健さんでなく切ったはったの健さんを見ることが出来そうである。
ヤレヤレ、良かったデス。
今年はウフフ・・・
朝日新聞の「be between」の頁に「毎年、初詣に行きますか?」というアンケートの結果が掲載されていた。
行くと答えた人が69%、いいえと答えた人が31%と、最近の初詣の混雑ぶりを証明するような結果が出ていた。
行く理由のトップは「新年の無事と平安を祈る」で、次が「年中行事だから」。この二つで64%と大半を占めているそうである。
行かない理由は「混雑が嫌い」が一番多く、2番目は「面倒くさい」と・・・ウン、まあ納得、良くわかります。中には「鶴岡八幡宮に行って3時間近くも並んだのに、トイレを我慢できなくって列を離脱。泣く泣く自宅に戻った」という壮絶な体験をした人もいるそうである。
私も、無論初詣にいく。それも三社詣りである。「蒲生神社」に「篠崎神社」に「八坂神社」。いずれも、地元では由緒ある神社となっているけれど、行くのは3日と決めているので、せいぜい並んでも100m位である。ウーン、九州の片隅の街に住んでいると、いいこともあるのである。大都市にお住みの皆さん、羨ましいでしょ。
初詣では、私、無論「新年の無事と平安を祈る」のは当然だけれど、
「どうぞ、アレもよろしくお願いします」
「それから、コレもよろしくお願いします」
「もう一つ、ソレもよろしくお願いします」と、毎年アレ・コレ・ソレの内容は違うけれど、しっかりお願いすることにしている。
ところが先日テレビを見ていたら、ビックリ&驚き&大ショック!!!
お願いをするときは、神様は誰の願いなのか分からないから、住所氏名をまず言って、それからお願い事は一つにしなければならないとのことである。
今まで、願い事が叶わないのは「何故?」と思っていたのだけれど、どうも、これは私のお願いの仕方が悪かったせいらしい。
でも、今年、住所も言わず三つのお願いもしたのだけれど、神は私を見捨てず、三社でお御籤を引いたところ、最初に引いたのは「小吉」、次に引いたのは位が上がって「中吉」、最後はなんと「大吉」。
凄いでしょ。吉の三つ揃い。「大吉」を引いたのは、とっくの昔のことだから、空前絶後の大喜びである。
ところが、朝日新聞の1月11日に「大吉の次は中吉?吉」という記事が掲載されていて、「大吉」以降の順番は、神社で違うそうである。
私の引いた「大吉」「中吉」「小吉」の順番通りなのは熱田神宮・平安神宮。成田山新勝寺・浅草寺は「大吉」「吉」「半吉」、住吉大社は「大吉」「吉」「中吉」だそうである。
「凶」がない神社もあるそうだけれど、「凶という字は上の部分が開いているように、上を見ていくしかないということで、これからどんどん運気が良くなるんだ」と思えばいいとのことである。そうだよね、これ以下になることはないんです。
平安神宮の担当者は「順位はなく中身が大切。大吉だからと言って書かれていることをおろそかにしないで」と、言われているそうです。
ハイ、分かりました。「運を天に任せず」に頑張ります。・・・とは言え、「買わなきゃ当たらない宝くじ」だけれど「買っても当たらない宝くじ」ということで、買ったことはなかったけれど、今年は「運はお御籤に任せて」宝くじ、絶対買います。
エート、1億円当たりますように・・・。7億円と言わないところが、奥ゆかしいでしょ。だから、絶対当たる。
ウン、今年はウフフ・・・。
丁度よい
時のたつのは早いもので・・・ン? 訂正、歳をとるのは早いもので、もうお正月。と、いうことで
あけまして
おめでとうございます
ウーン、今年御年79歳になるいい加減年寄りの私などは、一休和尚さんの
「正月は冥土の旅の一里塚。めでたくもあり、めでたくもなし」ではなくって
「正月は冥土の旅の半里塚。めでたくもなし、うれしくもなし」
の心境と言いたいところだけれど・・・。
私、NHKの「紅白歌合戦」は初めからズズズーイと最後まで見て「ゆく年くる年」の除夜の鐘を聞きながら年越しソバを食べ「年の初めは生でさだまさし」をウフフと笑いながら見て眠り、お正月がくればアルコールダメ人間だけどお屠蘇を1杯飲んで酔っ払い気分になり一見豪華絢爛風食べればフツーのおせち料理を食べ三社詣りに行ってお御籤を引き「金運ナシ」などは信じず「恋愛かなう」などの嬉しいお告げのなどの「いいとこ取り」をし・・・ン? 何?
「アラ、〝恋愛かなう〟なんて、そう八さんは関係ないでしょ」って・・・。そんな、実もふたもないことは言わないでください。とにもかくにも、ニコニコとお正月にドップリつかる始末である。アー、疲れた。
我ながらアホ見たい。
でも、昨年、私が親しくしている友人が突然亡くなって、念仏詩人と言われた木村無相さんが
「元旦や 今日のいのちに 遭う不思議」と詠んでいるとおり、
いつ死んでもいい私が、いまこうしてたまたま生きていることは不思議なことなんだ、凄いことなんだと、しみじみ感じる年齢にもなっているのである。
昨年、寂しさがうずまいて眠れぬ夜を重ねた人や、この世の不条理に心こおらせた人もいると思うけれど、今、生きていることを疎かにせず、不思議なこと、凄いこととなんだと思って今年も生きていきたいものです。
石川県野々市町の常讃寺の坊守・藤場美津路さんが「自己否定の苦悩の中で聞こえた仏様の慈愛の言葉」として「仏様のことば(丁度よい)」という詩を書いて寺報に掲載したところ、いつのまにか良寛さんのが書いた「丁度よい」という詩になって全国に広がりました。
何があっても「丁度よい」と思う心。ウーン、こんな心境になれたらいいのだけれど・・・。
丁度よい 良寛
お前はお前でちょうどよい。
顔も体も名前も姓も、お前は
それは丁度良い。
貧も富も親も子も息子の
嫁もその孫も、それはお前に丁度
よい。幸も不幸も喜びも
悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は悪くも
なければ良くもない。
お前にとって丁度よい
地獄へいこうと極楽にいこうと
いったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する
要もなく上もなければ下もない
死ぬ月日さえも丁度よい
お前はそれで丁度よい
ウン、後は「やるしきゃない」のですね。
※木村無相ーー明治37年~昭和59年。熊本生まれ。25歳から29歳までフィリッピンで働いた後、四国遍路に出て高野山に上り真言宗の修業をしたものの行き詰まり、真宗を求めて57歳から東本願寺の同朋会館の門衛を務め真宗の聴聞に励まれた。
このプログの「ご挨拶」の頁の末尾に、私の近況報告を兼ねた今年の年賀状を掲載しておりますので、是非、お読み頂くようお願い申し上げます。
じゃあね
街はイルミネーションに彩られクリスマスソングが流れて、いい加減年寄りの私でも、心弾み素敵気分になってしまう。
むかし昔、バブル時代には有名なホテルに予約して胸キュンのクリスマスプゼントをあげ、食事の後は無論アアしてコウしてウッフンフンと素敵な夜を過ごす・・・と、キリストさまはそっちのけの狂騒のクリスマスだったけれど、フルカラーで彩られた時は儚く散って、今やモノクロの時代になったようである。
と、言うのは、朝日新聞be betweenの頁に「クリスマスの行事をやっていますか?」というアンケートの結果が掲載されていて、行事を「やっている」と答えた人は51%、「いいえ」と答えた49%と、やっていない人が半数近くもいるのである。
やっていない人に「クリスマスイブに何をやっていますか?」と聞くと「テレビを見てゴロゴロ」が一番多く、次に「晩酌」「読書」「鍋物やごちそうを食べる」と、まあ、フツーの夜と一緒である。
私は、いい加減年寄りだから「紅白歌合戦は見なきゃならぬ」「クリスマスはやらなきゃならぬ」と、古き良き時代の伝統を頑固に守っているので、ツリーやリースは飾るしチキンやケーキは食べるし、このプログもクリスマスソングのCDを聴きながら書いている始末である。
クリスマスソングを聴いていると、洋楽はハッピイクリスマスと歌っているのが多いけれど、日本は山下達郎の名曲「Cristmas eve」をはじめ何故か別れのクリスマスを歌っているのが多いような気がする。
歌人 諸星詩織が
「ジングルベル街にサンタがやってきた 終わりかけてる恋が哀しい」
と、詠んだように、楽しくあるべきのクリスマスに別れるのは、よけいに切なさが強調されるからであろう。
そして、今年もあとわずかでTHE END。終りを告げた恋やくやしかったことなど、今年もいろいろあったことだと思うけれど、詩人 谷川俊太郎は振り返らなくてもいいんだよと「じあゃね」という詩を書きました。
じゃあね 谷川俊太郎
思い出しておくれ
あの日のこと
楽しかったあの日のこと
けれどそれももう過ぎ去って
じゃあねひとりぼっちはこわいけど
きみにはきみの明日がある
どこか見知らぬ宇宙のかなたで
また会うこともあるかもしれない
じゃあね
もうふり返らなくていいんだよ
さよならよりもさりげなく
じゃあね じゃあね・・・忘れちゃっておくれ
あの日のこと
くやしかったあの日のこと
けれどそれももう過ぎ去って
じゃあね
年をとるのはこわいけど
ぼくには僕の日々がある。いつか夜明けの夢のはざまで
また会うこともあるかもしれない
じゃあね
もうふり返らなくてもいいんだよ
さよならよりもきっぱりと
じゃあね じゃあね・・・
そう、今年の「夢旅人」も、今日で終わりです。今年、辛抱強く読んでくれた方に感謝して、
「来年もいい年でありまっすように」それとも
「来年こそはいい年でありますように」願って、
来年もよろしくお願い致します。
「じゃあね・・・。」
※ 諸星詩織ーー本名 糸満久美子。1945年生まれ、沖縄出身。掲載した詩は、詩集「雨あがりの窓」より。他に詩集「憑かれた口笛」「愛ぽぽろん」など多数。
居ながらにして異国風
私、東京で14年間,華の独身生活・・・ン? 訂正、単身生活をしていた時は「目黒ハイキングクラブ」という40数年の歴史をもつ山岳会に所属していたけれど、60歳でリタイヤして、我が街北九州市に帰ってきた時、どこかの山岳会に入ろうとしたら、女房が
「あなたは、もう年寄り。歩こう会相当の年齢よ。いい加減に目を覚まし、山岳会なんてあきらめなさい」と、きっぱり言う。
私は、ミステリイ作家パーネル・ホールが、小説「依頼人がほしい」の中で
人生にはついついわすれがちなことがある。いかに明々白々であり、いかに単純素朴であり、くりかえしくりかえし、わすれてはならじと自分にいましめても、わたしがついうっかりするのは、なにがあってもけっして妻を相手に議論をしようとするな、ということだ。
と、いう文章を心に刻んでいるので「ハイ、ハイ」と答えてしまった。
(ここだけのは話だけれど、私的には「ハイ」はよく承知したうえでの「ハイ」。「ハイ、ハイ」は仕方なくOKしたという「ハイ、ハイ」である。最近はなんと「ハイ、ハイ」が多いこと。お察しのこと・・)
と、いう訳で、帰郷してから就職した職場の「歩こう会」に入会。自称ショボショボ歩いていたけれど、66歳で退職した後、再就職した職場では「歩こう会」がなかったので、55年の歴史を誇る「小倉歩こう会」に入会することにしたのである。
2006年に入会し、10年の経歴を誇るのはいいけれど、初年度21回の例会に対し参加したのは5回、以来10年間の平均参加回数は4回という落ちこぼれとなっている。
「フーン、そう八さんってサボリマンなのだ」って・・・。
とんでもない、これって、私の名誉のために言ってっておくけれど、仕事&アレコレの都合で参加出来なかっただけで、決してサボリマンではない。
まあ、正直言えば、クラブのきまりでは雨でも傘をさして歩くことになっているけれど・・・ウーン、私、雨嫌人間。という訳で詳細は以下略。
クラブでは、毎年1回バスハイクに行くようになっていて、私はまだ1回しか参加したことがなかったけれど、今年は運が良いことには、その日のスケジュールは真っ白。
「歩こう会」では、平均10キロは歩いているけれど、「バスハイク」はバスがせっせと数10キロハイクして、メンバーは散策するだけである。なんと幸せ溢れ労力なしのラッキーな例会である。
今年のバスハイクは福岡県朝倉市の「秋月城址」。ここは、鎌倉時代から江戸時代にかけて栄えた城下町で小京都と言われ、桜や紅葉の名所とされている所である。
城跡はないけれど、13世紀初めに築かれ、秋月氏16代とその後の藩主黒田長政12代の歴史を眺めた秋月城の黒門が残されている。
華やかに紅葉に染めらた城址を歩くと、ビックリしたことには、ここは九州の片田舎と思っていたところが、なんと外国人がいっぱい。顔を見ただけでは、一見ニッポン人風らしいけれど、声高に外国語が飛び交って、日本に居ながら、雰囲気は異国風。我々は、眼で愛でながら歩いてけれど、周りの外国人は口で愛でながら歩いている。
古城の雰囲気ではないと思うけれど、我々ニッポン人も外国の観光地に行くと、ツアーの旗を高々と立てて、ゾロゾロと歩きながら
「すっごい!!!」とか「きれい!!!」とか興奮して叫んでいるはずだから、これも仕方あるまい。
紅葉の散る下で、シートを広げ、仲間とお酒を飲みながらや弁当をおいしく飲んで食べておしゃべりをする。どうも弁当を食べているのはニッポン人だけで、外国人は金持ちらしく、きっと料亭かレストランで食べているのだろう。しばし、雰囲気はニッポン風。
城址につながる紅葉に囲まれた道の両側には出店が並んでいて、おばちゃんが「取れたての柿だよ。一袋200円」と話しかけてきたので買ったところ、なんと大きな柿が8個も入っている。帰って食べたらおいしい。「高いけどおいしい」のは当たり前だけれど「安いけどおいしい」ってのは、私の趣味にぴったり。秋月城址、大好き。
帰る途中、有名な酒造所によって、タダの酒&焼酎&甘酒を飲み、養蜂場によってタダの蜂蜜をなめ、無事帰り着きました。
今年の紅葉は、どこも見事だったみたいだけれど、「秋月城址」が一番。
エ、何? 「よその紅葉を見ないで、よくそんなこと言えるわね」って。
ウン、「うちの孫が一番かわいい」って言うでしょ。これと同じなんです。ハイ。