アメ あめ 雨・・もうイヤ

今日も雨。

私、雨に濡れるのが嫌い。そう、大嫌い。
だから、梅雨は嫌い。第一「梅雨」を「つゆ」と読むのに納得がいかない。
「梅」という字の読み方は「バイ」と「うめ」。「雨」という字の読み方は「あめ」か「あま」か「う」。
だから、素直に読めば「梅雨」は「ばいう」。どうしてこれが「つゆ」となるの?
どうこじつけたって「梅」が「つ」、「雨」が「ゆ」になる訳がない。
だから、こんな訳の分からない梅雨は大嫌い!!!

むかし昔、梅雨と言えば「しとしと降る雨」、台風と言えば「土砂降りの雨」と相場が決まってたが、従来の「異常気象」が今や「通常気象」に激変したため、梅雨と言えば「土砂降りの雨」に「真夏模様の気温」が当たり前になってしまった。

私、雨に濡れるのは大嫌いだけれど、家にいて窓からしとしと降る雨を見ていると、ざわついた心もなにやら静まる気がする。

堀口大學が訳したポール・ヴェルレーヌの詩「巷に雨の降るごとく(1部)」にあるように、    

巷に雨の降るごとく 
わが心にも涙降る。
かくも心ににじみ入る
このかなしみは何やらん?

ウン、この詩が大好きなのに、しとしと降る雨は消えてしまった。

昔かった「Rsin Songs」2枚組CDをBGMに、このプログを書いているけど、30曲の中で、1番好きなのは小泉今日子の「優しい雨」。

心の隙間に 優しい雨が降る
疲れた背中を そっと湿らせてく
群れをなす魚たち
少し 楽し気に
駅に向かって走ってく
こんなに普通の毎日の中で
出会ってしまった二人
降りしきる雨にすべてを流して
しまえたらいいけれど・・・

「心の隙間に 優しい雨が降る」。このフレーズ、とってもすっごくいい!!!
ウーン、この曲、小泉今日子にとってもお似合い。

でも、雨をテーマにした曲は、ほとんど恋を失った曲が多い。恋に夢中は雨に似合う訳がない。
荒井由実が作曲しハイ・ハイ・セットが歌った「冷たい雨」は、切なくてやり切れません。こんな恋はゴメンにしましょうね。

冷たい雨にうたれて 街をさまよったの
ゆるしてくれたって いい頃だと思った
部屋にもどって ドアをあけたら
あなたの靴と 誰かの赤い靴
あなたは別の人と ここで暮らすというの
こんな気持ちのままじゃ どこにも行けやしない

しかし、恋に夢中の人にとっては、梅雨も満更でもない人もいるようですね。そこで俵万智の短歌をどうぞ・・・。

梅雨寒や 抱かれ心地のシャツ借りて しばし続きを読むミステリー

アホ?

江藤農林大臣が
「コメは買ったことがない。たくさんコメを貰うので売るほどある」と、側近にうっかり漏らしたのならともかく、セミナー会場で満員の来場者を前にして堂々と話したものだら、たちまちテレビで放映されて大騒ぎ・・・。

私、テレビを見た瞬間、
「アホか!」と思ったが・・・ウーン「アホ」なんて、天下の農林大臣に言ったら失礼ですね。ここは、やっぱり「とんま」とか「ぼんくら」とか「すかたん」とか「おたんこなす」とか「あんぽんたん」とか、愛を込めてくさした方がいいでしょう。

てなことを書いたけど、江藤農林大臣って本当はエライ人なんです。議員歴6期で自民党の農政部会長や農林水産大臣政務次官をはじめ農林水産大臣も経験している農林通としてピカ一だそうです。ハイ。
私などは、足元にも及ばないとってもエライ人。「アホ」なんて言える訳がありません。

でも、もともと国会議員さんて我がニッポン国を代表するエライ人のうえに、大臣ともなれば「如何にして我がニッポン国を平和に豊かに幸せに暮らせるようにするか」と、天下国家のことを日夜頭を絞って考えている超エライ人なんですね。
要するに「雲の上の人」だから、雲の下に住むシモジモのことなど、頭にないのも当然のことでしょう。無理を云ってはいけません。

私、すぐに辞表を出すと思ったら「深く反省しお米の値段を下げるよう努力する」とのたまい、総理も執行部も「アホか」なんて思わず「政務に励め」だって・・・。
やっぱり総理大臣をはじめ執行部の方々も「雲の上の人」。

しかし、おさまりがつかなくなって、後任に国民的人気を誇る小泉進次郎さんをあてがって汚名返上。備蓄米を2,000円台にすると発表してアッ気にとらせました。

小泉進次郎さんは、親父さんに似て農林水産省を「ぶっ壊す」ほどの力を発揮すれば、ひょっとして現在の4,000円台のお米の値段が3,000円台に下がるかも・・・。

そうなると、政権を維持するためのは、手段をいとまない自民党のことですから、石破総理に辞表を出させ小泉進次郎さんを総裁にして参議院選挙をやろうと画策するでしょうね。

かくして、自民党「バンザイ、万歳、万々歳」

野党の皆さん、そうなると少数与党が一党独裁政党に変貌してしまうので、ここは現在の4,000円台のお米の値段が3,000円台に下がらないように祈るしかありません。

ン? それって、シモジモの期待を裏切ることになるんじゃないの?

許せないのは・・・

私が見るテレビ番組は、ニュース番組と音楽番組に映画と時々ドラマ。バラエティ番組は見たことがない。

バラエティ番組は、出演者がいっぱい登場。そして事あるごとに、全員でゲラゲラと・・・これってヒンがない、失礼。オホホホと・・・でもないし、ニコニコと・・・でもない。まあ、要するにワハハとかハッハツハと大口を開けて笑いながら拍手しているのを見ると「???」という感じがして、見ないことにしている。

私、昭和の初めの生まれ。昭和ドップリ人間としては、拍手するのは式典でオエライさんの挨拶が終わった時とか、講演会やコンサートにお芝居・演芸等が終わった時にする位である。
だから、バラエティ番組で出演者の皆さんが拍手していても、こちとら一緒に拍手する気にはならない。

・・・てなことを云っても、これって時代遅れの人間のタワ言。バラエティ番組愛好者の皆さん、ご勘弁のほど・・・。

音楽番組で必ず見るのはNHKでは、大泉洋の「SONGS」。大泉洋の出演者から引き出すオシャベリが大好き。

4Kでは、リリー・フランキー&上白石崩歌の「The Covers」。リリー・フランキーの蘊蓄ある絶妙な会話が素敵。

それと「歌える!青春のベストソング」。ナビゲーターの広瀬智美が番組の最後に披露する歌がスゴイ!!! アッケにとられてスッゴク愉快。28日には大好きな忌野清志郎の「ザ・モンキーズ」が放映された。清志郎はド派手な装いでパフォーマンスを演じているけれど、本当はとってシャイなミュ-ジシャンと思っている。

民放では、フジテレビ系の仲間由紀恵&軽部真一の「MUSIC FAIR」。ほとんど馴染まない歌手がゾロゾロ。でも、別世界の音楽に接する唯一の番組なので「フーン」と感心しながら、若い女の子のグループが脚をピョンピョン上げながら歌うのを見ている。

クラシック番組では、NHKでは清塚信也&鈴木愛理の「クラシックTV」。清塚信也の解説が「目からウロコ。」
ほかに「クラシック音楽館」。この番組では放映されるオーケストラや曲名・指揮者によって、録画して見ることにしている。
テレビ朝日系の石丸幹二の「題名のない音楽会」。番組の構成がとってもユニーク。クラシックの新しい聴き方を教わる気が知る。

テレビで放映される映画は、BSが多いが全て録画して見る。見るのは、当然ながら弾が飛び交ってテキはバタバタ倒れるけれど、何故か我がヒーロには当たらないというドンパチ映画。
かみさんがいる時に、このような映画を見たら「フン」と軽蔑の眼差しになるので、録画してかみさんがいない時に気分爽快ハレバレと心おきなく見る。
でも、吉永小百合さんなど大好きな女優さんが出演する映画が放映される時は、何度でも見る。世間で話題になっている映画も見ることにしている。

放映されるのは昔の映画。私は大金を払って映画館で見ているのに、それがテレビではタダ。「こんな不合理な話はあるか!」と憤慨して、映画館で見た映画はテレビでは見ないことにしている。

ところが問題発生。ズズズーイと若いころは映画のタイトルを見ただけで「映画館で見た」とすぐ分かり、テレビでわざわざ見ることはなかったのである。
しかし、歳を重ねるにつれ、見ていないと思ってテレビをつけて見たところが「映画が始まるすぐに」見た映画だと分かって、たちまちスイッチOF・・・ならいいけれど「映画の途中までいったところで」見た映画だと分り、アホ化気分を味合わされながスイッチOFとなり・・・ならいいとしても「ラストちかくで」見たことが分かり、アッタマにきてスイッチOFとなることが多くなってしまった。

最近になると、許せないのは見た後で「どうも見たような気がする」となってしまい「見たか?見なかったのか?」と、悩み多き人生にどうでもいい悩みを加えるようになってしまった。

人生の残り少ない人生をムダに過ごしてしまい、口惜しいことこの上もない。私、86歳。歳は取りたくないものである。

ちょっと二言、三言

トランプ関税旋風が吹き荒れて、世界はシッチャカメッチャカ大混乱!!!

権威国家と云えば「ロシアに中国、北朝鮮」と思っていたが、中国はこれ幸いとばかり東南アジアやアフリカでアメリカに代わって媚を振りまき、どうも今から権威国家は「ロシアにアメリカ、北朝鮮」となるやかもしれぬ。

ウクライナに侵攻しているロシアの国民の多くは、プーチンの言いなりになって、ウクライナはもともロシアの一部と考えているらしく、国内で大きなブーイングは起きていないらしい。

しかしアメリカはロシアとは違う。世界に冠たる民主主義国家である。アア、それなのにトランプさんの「アメリカファースト」を信じ関税でアメリカを守るとして、大きなブーイングは起きていない。ホント、信じられない。

世界のどこの国も無論「我が国ファースト」である。でも、これは世界の国々を痛みつけての「我が国ファースト」ではない。
アメリカの良識はどこにいったの?

アメリカは中国からの輸入品に対し145%の関税をかけると発表。今まで1,000ドルで売っていた商品代に1,450ドルの税金をかけるということになる。
アメリア国民は商品代1,000ドル+1,450ドル=2,450ドル払えと言うことである。
中国製品は、電子製品から玩具にいたるまでいろいろな分野で売られているというのに、アメリカ国民はどうすればいいの?
どれも買う人はいないから、中国は他の国々で売ることして収入減をカバーすることが出来るが、アメリカ国民は支出増をカバーする収入がある訳ではない。

まあ、いうなれば中国製品には145%の追加消費税が、中国以外の国からの輸入品は取りあえず10%追加消費税がかかるということである。一番損するのはアメリカ国民。反対にプラスになるのはアメリカの財政。

トランプさんは関税をかけることで、外国製品を国内から駆逐し、製造業を復活させるといっている。
しかし、である、もともとアメリカで作っていたが、人件費の安い外国からの輸入品に負け、製造を止めたニガイ歴史がある。

だから政府が作れと云ったって、今更工場を建設し、機械部品は高い関税を付けられた外国製を買い新規に高い賃金で労働者を雇入れで生産を始めても、高い価格の商品にならざるを得ない。
それに、4年後政権が代わり元の関税に戻たら、外国製製品が溢れることになるので、生産を始めるのは躊躇せざるを得ないであろう。

かくして、アメリカで作られた製品が市場に出回るなんて「???」の疑問符付き。アメリカ国民は高いけれど外国製品を買わざるを得なくなる。

トランプさんは、外国の企業がアメリカ国内で生産すれば関税がかからないから、アメリカに工場を作ればいいという。
でも、アメリカの企業が、新規に事業を起こすのをためらっているのに、外国の企業が進出する訳がない。

どうも、関税を高くするのは、アメリカにとってもダメージが多くなるはずである。アメリカに輸出している国は、販路をアメリカ以外に変えることで、カバー出来るかもしれないは、アメリカは製造業が復活する訳でもないし、外国企業がアメリカに進出することもないし、国民の一方損しかならないであろう。

だから、アメリカ国民がブーイングを起こすのは間違いない。各国はアメリカに関税引き下げの交渉をするより、トランプさんが手を挙げるのを待てばよいのである。

まあ、ジタバタしないでアメリカとの我慢くらべをして、最後は「ザマー見やがれ」と喝采したいものである。

とは言え、アメリカに「オンブ・ダッコ」しているわがニッポン国にヨーロッパ諸国や国際機関に対し、アメリカ国民が「もう勘弁してくれ」と云うのも当然かもしれぬ。
ウーン、ここいらで世界は再編成を・・・。

ちょっと一言

目出度く、3月末日に予算案が通過し、ハラハラドキドキの国会の幕を閉じた。

与党は、ヅヅヅーイと長らく国会では過半数を占めていたため、民主主義の原則である多数決を振りかざし、我が意のままに政治を動かしてきたが、初めて少数与党に転落。策略をめぐらさなければ予算案を通すことが出来なくなった。

野党の皆さん、一致団結すれば過半数。待ちに待った「野党が与党」となるチャンスが巡りまわって来たというのに、てんでバラバラ。
野党第一党を目指し「わが党、ここにあり」と「どんぐりの背比べ」。ニッポン国の政治を担おうという気はないらしい。

国民民主党などは現在の103万円の「年収の壁」を178万円に主張。これに同意しなければ予算案に反対すると脅し・・・アッ、失礼、取引をせまってまるでトランプ流。178万円を実行すると6兆円~7兆円の財源が必要となるので、自民党がOKする訳がないのである。

かくして、自民党は予算案を通してもらう代わり、国民民主党より割安となる日本維新の会の「教育無償化」に合意。国民民主党をポイしてしまった。

戦国武将の毛利元就が、3人の息子に伝えた「三本の矢」のたとえがある。一本の矢は折れやすいが、3本束ねると折れにくいというたとえである。
野党がいくらキレイごとを個々に主張しても、スルーされるのがオチで長年権謀術数にたけた自民党に勝つわけがない。

でも、立憲民主党、日本維新の会、国民民主党等の野党が一本化すれば、主張が通るどころか政権も取れるかもしれないのである。
アア、それなのに、わが党の主張が一つでも通ればメデタシめでたしと胸を張ってTHE END。
「井戸中の蛙、大海を知らず」ということであろう。

石破ソーリが、初当選した議員を招いてお土産に10万円の商品券を渡したことがバレて、大チョンボ!!!
石破ソーリは、庶民感覚からズレていると四面楚歌。
でも、石破ソーリは、40年近く議員にドップリつかっているので、ドップリ政治家感覚。庶民感覚からズレているのは当然のことである。
お土産は政治家感覚からいっても1万円が限度かもしれぬが、わがニッポン国で一番エライ人である天下のソーリはナミの議員とは違う。
1万円では恥をかくということで、秘書から「ソーリからのお土産は10万円が通例です」と云われれば、
「ウン、そうか、10万円はソーリ感覚か」とういことで、チョンボの幕が開くことになった。

これって、石破ソーリの悪口を言ってるが「安倍派パーテイ売り上げ、ポケットポイ」が、ウン10年続いて違和感がなかったと同じように、10万円商品券は自民党の体質であろう。体質なんてものは、一朝にして変わるものじゃない。

朝日新聞に3月17日に掲載された世論調査を読むと、石破ソーリの配布問題を受けて首相を辞めるべきかという質問に対し
「その必要はない」が60%、「辞めるべき」が32%とあった。
とはいうものの、石破内閣の支持率は前回の40%から26%にダウン、支持しないは前回44%から59%にアップ。
支持しないけど辞めなくって良いなんて、まるで筋が通らない。

自民党のダメイメージは増えるばかりなので、6月の参議議員選挙でも、自民党は少数与党化するかもしれぬ。すると石破ソーリは責任をとって辞めざるを得ないであろう。

「君主豹変する」のたとえのとおり、石破ソーリの総裁選の時の公約はまったく姿を消してしまった。その内、辞書に「君子豹変する」の凡例として「石橋総理の公約」と記載されるかもしれぬ。かくして自民党の評価は下がるばかり。
そこで、石破ソーリは、このままでいけば6月にはソーリの座をポイされてしまうから、もうヤケクソ。
2001年に当時の小泉総裁が「自民党をブッツ壊す」と豪語して参議院選挙に勝利を収めたように、石破ソーリも「ちゃぶ台返し」を行って、自分の公約を少しでも実行したら、チョピリ汚名挽回できるかもしれぬ。
・・・てなことを、わがニッポン国の石破ファンがはかない夢を抱いて、世論調査で「辞めなくていい」と考えたのに違いない。

でも、自民党の体質改善は出来そうもないし、一本化してニッポン国を担おうという気概に欠ける野党に政治を任せる気にはなれないし、ホント、わがニッポン国の国民は途方に暮れるばかりである。