サユリスト? コマキリスト?

 我が街北九州市には「昭和館1・2」という名前の映画館がある。名前の通り今年で創業76周年の映画館で、当時の情緒を残した1館270席・2館は100席程度のミニシアター。
 かって昔はエロッポイ映画を上映していた頃があったけれど、3代目館主に樋口智己さんがなって大変貌。希有な映画館に様変わりした次第である。
 邦画と洋画に2館に分かれ、懐かしの名画やシネコンなどでは上映しないミニシアター系の映画を上映すると共に、いろいろな映画特集もやって、それに関係するシネマトークや出演者挨拶などもやるユニークな映画館の一つになっている。
 それにスゴイのが、それぞれ2本立てで入場料1,100円也。2本見ると4~5時間はかかるけれど、お弁当などの持ちこみ自由となっているから、休憩時間にお弁当をパクパク。
 ウーン、たった1,100円で5時間も居られるのなら、安上がりのアーツイ夏向きの避暑地になりそう。入れ替えなしで居眠りも自由ならエンエン居られて・・・などと、云ちゃあ困る。いつも見なきゃソンソンという2本立てである。
 そして、今年は戦後70年。語り継ぎたい映画があるという訳で
 「戦後70年 名画で振り返る戦争~戦渦を生きたヒロインたち」というテーマで、8月第1週はアニメ「ガラスのうさぎ」と「はだしのゲン実写版」。第2週は「ひめゆりの塔」と「サンダカン八番娼館 望郷」。第3週は「ゼロの焦点」と「また逢う日まで」。第4週は「暁の脱走」と「浮雲」。ネ、すごいプログラムでしょ。
 第2週の「ひめゆりの塔」と「サンダカン八番娼館」の主役は栗原小巻。と、云うことでコマキリストの栗原小巻さんがトークショウに登場した。
 実は、彼女の父栗原一登は、團伊玖磨が作曲した我が街の合唱組曲「北九州」の作詞をした人である。私はその合唱組曲を歌う合唱団「北九州をうたう会」のOBなので、その栗原小巻さんのシネマトークがあると聞いたので見に行った訳である。
 当日は、立ち見が出るほど超満員。本篇の上映前に、当時のニュース映画「朝日世界ニュース」が流されビックリ。あの独特のアナウンサーの音声と武漢攻略戦の画像が流れ、ウーン、懐かしい!!!
 「ひめゆりの塔」は、沖縄の女学生が勤労奉仕団として最前線に配属されて散っていった実話をもとに作られた映画で、戦争の残酷さ・悲惨さをを描いて、戦争体験のない私などは言葉を失ってしまった。この映画は1982年の映画だけれど、今、国会でアアでもないけれどコウでもないと答弁しているニッポン国のオエライさん達は、見ていないのでしょね、きっと・・・。
 「ひめゆりの塔」の上映が終わって、北橋市長の挨拶の後、栗原小巻さんが登場。館主の樋口智己さんとのトークショウがあった。栗原小巻さんからこの映画のエピソードなど話されて「これ以上沖縄に負担をかけないで下さい。そして若者の命、人生を奪わないで・・・」と訴え、戦争とはどんなことかということを知って欲しい、そして平和憲法を守って欲しいと話された。
 そして、お父さんが作詞された合唱組曲「北九州」を歌っている合唱団「北九州をうたう会」のことにも触れられ「来年2月に行われる演奏会に行って下さいね」と言われたので、すこぶるうれしく大大満足。
 最後に、与謝野晶子の詩「君死に給うことなかれ」をきれいに響き渡る声で朗読。私の大好きな吉永小百合さんの原爆詩の朗読と同じように、聴く人の心をゆさぶって大感動・・・。
 私は、洋画専科で邦画は今はなきゴジラと吉永小百合さん以外の映画はほとんど見たことがないけれど、これからは、サユリスト&コマキストにもなることにしよう。
 エ、何? 「そんなに二股かけるのは、失礼よ。一人に絞りなさい」て・・・。
 だって、そんな、無茶な・・・。

※ 私は東京で単身赴任中の1994年11月に目黒ハイキングクラブ入会し、クラブで参加した山行のエッセイを会報「ほうろう」に数編掲載し好評を得ました。
 そこで、1998年3月に定年退職して東京をさよならするまでの間に、会報「ほうろう」に掲載したエッセイ7編を「山の彼方の空遠く」と題して、下記の通り遂次掲載することにしました。
 ホームページの「カテゴリー」欄の「山の彼方の空遠く」をクリックして頂ければ、順次読むことが出来ますので、このブログ「風に吹かれて」のシリーズと同様よろしくご愛読下さいますようお願い致します。

山の彼方の空遠く

・ 目黒ハイキングクラブに入会して~落ちこぼれ入会記
・ 大菩薩嶺~ハラハラ・ドキドキと
・ 武川岳~行きはヨイヨイ帰りはコワイ
・ 三頭岳~ハナは流れる
・ 矢倉岳~ハラ泣くの巻
・ 飯盛山~オイシクておいしくて
・ 荒船山~THE 最高

目黒ハイキングクラブ落ちこぼれ入会記

 それは忘れもしない1995年10月19日の「目黒ハイキングクラブ(MHC)」の例会の日のことである。例会が終わってから、幹事の大下さんが爽やかな笑顔を見せて、
 「森さん、入会の感想文、書く時期になったわよ」と言う。私はそれを聞いて一瞬
 「ン?」と絶句・・・。私がいくら爽やか笑顔にヨワイと云っても、大井さんの云っている意味が分からない。キョトンとしていると、
 「森さん、入会してもう1年たったわよ」と言う。
 「エッ? もう1年も・・・」と又もや絶句。と、云うのは、である。私の参加した山行は指をり数えて・・・エーット入会してからすぐ彷徨祭の時に登った石老山でしょ、それに鍋割山に大菩薩峠、それから荒船山に伊豆ケ岳。ウーン、1年間でたったの5ケ所!
 例会の出席も指折り数えて・・・エーット数えるのは恥をかきそうだからヤメヨーッと。 続きを読む

大菩薩峠~ハラハラ・ドキドキと

 1995年7月の山行は、目黒ハイキングクラブ(MHC)ではファミリーレベルとはいえ、かの有名な大菩薩峠である。なんたって2000mもある。かくしてメンバーはファミリークラスの健脚を誇る北山さん、島川さん、美人の西田さん、それに新人でオッカナビックリ初参加の私。リーダーはキュートな倉地さん。
 私は女性と一緒に山に登ると、何故か足取り軽くスイスイという癖がある。無論、前を歩く女性の偉大なオケツ・・・ン? 訂正、ヒップを見ながら登ると疲れを忘れる、なんてことはこれっぽちも考えたことはない。しかしながら、これで今日の大菩薩峠はバテなくてすむと安心する。 続きを読む

武川岳~行きはヨイヨイ帰りはコワイ

 1996年5月12日Am5時30分。目覚時計の音と共に電話のベル。いくら朝に弱い私でも、夢の中でナントカさんとアアしてコウしてアアなる寸前であろうとも、これじゃ起きねばならぬ。
 電話は先輩の島内さんからのモーニングコール、朝に弱い私を心配しての島内さんの心ずかいである。まさにアアなる寸前だったのに損したなどと決して云ってはならぬ。有り難いことである。
 いつものコンビニでいつものオムスビ3個と玉子焼きと煮物と鶏の唐揚げとビスケットとキャンデイとペーパードリッパー付のmoncafeのコオヒイとbrokebondの紅茶とウーロン茶1缶とミルク300mlとアルカリオイン水500mlを買う。
 ウーン、だって、これって朝メシと昼メシと非常食兼用のオヤツでしょ。でも、全部食べてしまう訳ではないけれど、山からクタクタになって下りて来ても、体重ちっとも減っていないのは何故かしらん。 続きを読む

三頭山~ハナは流れる

 1996年11月6日の目黒ハイキングクラブ(MHC)例会が終わって帰ろうとした時、堀川さんが「三頭山に行こうよ」と云ってきた。私は、女性から誘われると何故か知らねど「ウン」と言う習性がある。それも堀川さんからの誘いである。見境もなく「ウンウンのウン」と云ってしまった。
 ところが、帰って会報「ほうろう」を見るとグレードⅢとある。私は、四捨五入すればオジーサンにあるオジサンなので、グレードⅢとなると「ン、大丈夫?」というところであるが、リーダーが高山さん、メンバーが鈴元さんに堀川さんである。MHCの誇る超弩級の高山さん、鈴元さんにサンドイッチされての山行なれば、上役下役に挟まれてのサンドイッチとはエライ違いである。「マ、いいか」ということにした。 続きを読む