私の住む街北九州市は、九州の北端にあって日本海に面しているものの、雪が降るのはほんのチョピリ。たまに降ってもすぐ消えてしまうけれど、1月中旬に降った雪はなんと3日間も消えず、窓の外はしんしんと静寂をまとって白一色。
おかげで、予定されていた行事は中止となり、私は3日間も家に閉じこもざるを得なくなってしまった。だって、私、いい加減年寄りでしょ、我が家は高台にあるので、外に出たらスッテンコロリでハイ骨折、車だってツルツルツルでハイ衝突。まるで外出禁止状態。
でも、3日も続けて家にいたなんて稀な経験をしたおかげで、TVで録画していた映画や音楽番組を見て、これを一掃。いい気分。
そして、そのなかで一番の優れものは、NHKBSで放映された「中島みゆき名曲集~豪華トリビューンライブ&貴重映像~」
これは、東京の中野サンプラザで行われた「中島みゆき RESPECT LIVE 歌縁」のコンサートを録画した番組だったけれど、なんと、出演者が女性ばっかり。スゴーイ!!! なんたって私は男、女性歌手大好き。
大竹しのぶ、華原朋美、クミコ、研ナオコ、坂本冬美、中島美嘉、中村中、満島ひかりという中島みゆきに惚れこんでいるそうそうたるメンバーなんです。
番組では、出演した歌手がみゆきへのそれぞれの想いを語った後でみゆきの歌を歌い、それに関連したみゆきの映像が放映されたのだけれど、ウン、ホレボレとシミジミと2回見ました。
中島みゆきの歌をコピーするのは簡単だろうけれど、彼女の歌詞のコトバを読み込んでカバーするのは至難の業と思っていたのに、歌手の皆さんがみゆきの世界を損なわずに、それぞれ自分のものにして歌っているのを聴いて感嘆・・・みゆきのカバーとは言え、さすが中野サンプラザで公演するだけあって、ほれぼれとうっとりと・・・そう聴きほれました。
なかでも良かったのは大竹しのぶと坂本冬美。大竹しのぶは、役柄に合わせて百変化できる希有な役者だと思っているけれど、彼女が歌ったのは「化粧」。みゆきの歌を芝居にして歌ってくれました。
私は、演歌はほとんど聴かないけれど、坂本冬美は演歌歌手でしょ。ところが、むかし昔テレビの番組で、細野晴臣と忌野清志郎が学生服、坂本冬美がセーラー服を着て歌っているのを見て仰天。細野晴臣&忌野清志郎は分かるけれど、この二人と演歌の坂本冬美なんて、どうしたって結びつかないでしょ。それが、なんと学生服とセーラー服を着て、一緒にノリのいい歌を気持良く唄っいるのでから、口アングリ。それが何故かウマイのなんのって・・・。「スゲー」の一言。
それ以来、坂本冬美は演歌歌手にしていてはもったいないと思っていたのだけれど、このステージで歌ったのは中島みゆきの「雪」
中島みゆきと演歌歌手っていうのも「ン?」だけれど、中島みゆきが坂本冬美に乗り移ったみたい。さすが坂本冬美!!!
番組の最後に中島みゆきが、私の大好きなジーパン姿で「時代」を歌っている映像が放映されて、私、ニコニコニッコリ。
ユキ&ユキ&ユキの3日間でしたけれど、すっかりご機嫌の3日間でした。
雪の被害にあって「もうウンザリ」と思っている方々に・・・ごめんなさい。
作者別: 荘八
ジタバタ&バタバタ
年末年始は、ジタバタ&アタフタして過ごしましたか。それともノホホン&ホンワカと過ごすことが出来ましたか。
私は、ジタバタ&アタフタ派。
12月23日に大型商業施設リバーウオークで行われた星空のクリスマスの「600人のゴスペル大作戦」に参加して「Joy to the world」や「worth」など5曲を、ゴスペル気分いっぱいに盛り上がって歌ってきました。
だけど「うっすらハゲ模様」は、600人中なんと私一人。昨年は同類人が3~4人いたのに・・・今年はホント、場ちがい感がいっぱい。
これって「年寄りの冷や水」と云われそうだから、来年から参加するのは残念ながら止めることにしました。だけど、帰ってテレビのニュース中継の録画を見たらほんのチョッピリのピリだけれど、私が映っていたので大満足。出演記念として永久保存版にしました。
だけどゴスペルって、楽しいんですよね。英語で歌うのが難点だけれど「ハレルヤ」とか「メリー・メリー・クリスマス」とか大合唱すると、ストレスは吹っ飛び気分は最高。
プロのゴスペルシンガーの方には悪いけれど、下手でも・・・そう、私のように・・・歌ってこんなに楽しく素敵気分になれるのはゴスペルだけでしょうね。
年末は恒例の第九の演奏会に行き、映画は「コードネーム アンクル」と「007」と「母と暮らせば」を見て、我が街が誇る劇団青春座メンバーによる「朗読会~悪のしくみ」を聞きに行ってワルを満喫し、作家村田喜代子さんのシネマトークと彼女の原作を映画にした「蕨野行」&「八月の狂詩曲」の上映を見て、「北九州青い空合唱団」が3月に行う第25回記念演奏会に出演することにしたので、それの練習に2回参加し、そうゴスペルの練習も3回あって、私がやっているパソコン初心者講座に4回出て、おまけに忘年会を6回もこなし・・・あゝ、忙しかった!!!
紅白は巷には評判悪いけれど、私、初めから最後までズズズーイと見ました。私、いい加減年寄りだから、名前は聞いたことがあるけれど歌を聴くのは初めてという歌手が半分位。
だけど、ステージのバックに映し出される映像は豪華絢爛でしょ、名前だけ知っている歌手が美人だったらウットリして、女性グループの可愛い顔を見るとニコニコして、ミニでピョンピョン足を振り上げて歌うのを見てはニヤニヤして・・・エーット、ここだけのは話しだけれど、私的には紅白って聴くのではなく見るものですね。
だから、歌手では私の贔屓筋の今井美樹と高橋真理子が出ただけだけれど「マ、いいか」って訳。
それと、良かったのは総合司会の有働由美子さんのドレス。
「どうして?」って、ウーン、まあ、これって言えば顰蹙をかいそうだからヤーメ た。
「それに、そう八さん、女性の話ばかり。男性の歌手はどうだったの?」
エッート、紅白って聴くのじゃなくって見るもの。私、男性だから男を見たってつまんないでしょ。フン。
初詣は例によって篠崎神社と蒲生神社と妙見神社。おみくじは中吉に吉。私は、いいとこ取りをするという優れた性向をもっているので、中吉と吉を合わせて大吉気分。きっと今年もイイことがあるにちがいありません。
皆さんもイイことがいっぱいありますように・・・。
祈り
今日は1月1日。そして今日は昨日の続きでもなく、明日の前でもない特別な日。
そう、お正月。
明けましておめでとうございます
そして、今日は、新しい年のスタートの日。昨年、素敵いっぱいだった人も、ポケットも心もデフレだった人も、一進一退だった人も、今年のページは、まだ真っ白。
今日からどんなページが開かれていくのか・・・そう、谷川俊太郎の詩「今年」のように、いろいろなことがあるにちがいありません。
でも、人生をあきらめないで、今生きずいていることを疎かにしないで、希望を持って・・・。
祈りたいものです。
今年(祈らなくていいのか) 谷川 俊太郎
涙があるだろう
今年も
涙ながらの歌があるだろう
固めたこぶしがあるだろう
大笑いがあるだろう今年も
あくびをするだろう
今年も
短い旅に出るだろう
そして帰ってくるだろう農夫は野に
数学者は書斎に
眠れぬ夜があるだろう
だが愛するだろう
今年も
自分より小さなものを
自分を超えて大きなものをくだらぬことに喜ぶだろう
今年も
ささやかな幸せがあり
それは大きな不幸を
忘れさせることはできぬだろう
けれど娘は背が伸びるだろう
そして樹も
御飯のおいしい日があるだろう
新しい靴を一足買うだろう
決心はにぶるだろう今年も
しかし去年とちがうだろうほんの少し
今年は地平は遠く果てないだろう
宇宙へ大きなロボットはのぼり
子等は駈けてゆくだろう今年も歓びがあるだろう
生きてゆくかぎり
いなむことのできぬ希望が
※ 「今年」の詩に松下耕が作曲し、多くの合唱団で歌われています。
このプログの「ご挨拶」の頁の末尾に、私の近況報告を兼ねた今年の年賀状を掲載しておりますので、是非、お読みください。
年の終わりに・・・
「キャー」と、これは悲鳴です。だって、もう今日は12月15日。アレヨアレヨとばかり時は駆け足で過ぎ去って、もうすぐお正月なのにヤルこといっぱい。
そして、お正月が来たら一つ年を取らなければならないでしょ。私、いい加減年寄りだから、お正月なんて駆け足でなくって、よろめいてノロノロ来ればいいと思っているけれど、
「早く来い来いお正月」と思う人も多いのだろうから、
「アホなこと言わないで」と云われそう。ウン、これって年寄りの戯言。
そこで、今年の映画総決算。見た映画はなんと31本。私の人生で最多新記録樹立。見たのは、ドンドンパチパチ撃って撃って撃ちまくり、敵はバッタバッタと倒れるけれど、我がヒーローには何故か全く弾が当たらないという映画で、冷静に考えると
「そんなことって、あり?」というような素敵なドンパチ映画ばかり。
だけど、いつも、スト-リーはあっちのけでホレボレと
「スゲー! スゲー!」と感嘆符付で見ているから、1週間もたつとドンパチシーンは目に浮かぶけれど
「エーット、どんなストーリだったけ?」
そんな訳で「スカット忘れるドンパチ映画」ばかりでしょ。それにタイトルはカタカナ語。「ワイルドカード」とか「イミテーションゲーム」とか」とか「ワイルドスピード」とか「フォーカス」とか・・・ネ、どんな映画か分かる? 分からないでしょ。見た私が分からないのだから当然です。
だから、31本も映画を見たなんて実感なし。つらつら考えると、大枚をはたいて見たのにまるで損した気分。
テレビでも、映画が放映されているでしょ、私、一金1,000円也を払って映画館でちゃんと見ているのに、数年後にはテレビで放映されているの見ると、怒り心頭まではいかないけれど、憤慨このうえもない。しかし、うちのかみさんに言わせると
「じゃあ、お金まで払って見に行かなきゃいいのに」だって・・・。
うちのかみさんはいつも正論をはくけれど、世の中、そうは問屋が下さないものもあるのである。
だけど、見ていない映画も放映されることがあるので、それは見ることにしている。私が見た映画を放映するのは「怪しからん」けれど、見ていない映画を放映するのは「許す」ことにしている。これも、うちのかみさんに言わせると
「それって、身勝手」
エーット、これって身勝手ではなくて、私の心のままに正直に生きている証拠なんです。ハイ。
でも、むかし昔は、テレビの番組表で映画のタイトルを見ただけで「これ見た」とパス。昔になると、途中まで見たら「ア! これ見た」と気が付きスイッチオフ。少し昔には、最後の5分くらいになると結末を思い出して「クソ!! これ見てた」となけなしの人生をムダに過ごしたと大憤慨。ごく最近になると、最後まで見ても「ン? なんだか見たような気がするな」と摩訶不思議気分。
ここまでは、まあ良いとしても、最近は映画を見終わって「これって、間違いなく見ていない映画」とニッコリ。安心しきっていることが多いのである。
でもね「本当に見ていなかったの?」と、うちのかみさんはのたまうのです。
なんたって、私77歳。どうすればいいの?
今年1年、アベノミックスの恩恵を受けた人も、アホノミックスの恩恵を受けた人も、失恋した人も得恋した人も、アレコレあったことでしょうけれど、イイことだけは心のポケットにしまい込み、あとは水に流して・・・そう、夢だけは流さないで、新しい年を迎えましょうね。
松平盟子の短歌のように、いやなことがことがあっても振り切って、気分は颯爽と生きたいものです。
あっさりとカシミアセーター着くずして自転車に乗るように生きたし
今年の「夢旅人」は、早々と今日で御用納めです。お忙しい合間に付き合って頂き有難うございました。来年は笑顔で迎えられますように・・・。
* 松平盟子ーー1954年生まれ。「プチ&モンド」主宰。掲載の短歌は河野愛子賞を受賞した「プラチナ・ブルース」より。
これってハードボイルド その6
12月。途端に冬。寒くってサムーイ。でも、街はクリスマスを装ってイルミネーションが輝き、心弾んで何か素敵なことが起るような気がするけれど
糸満久美子の
ジングルベル街にサンタがやって来た 終わりかけてる恋が哀しい
のように、1年の終わりが恋の終わりとなる人もいるに違いないし、12月と言うのに、一向にラチがあかないアレやコレやにムシャクシャしている人もいるに違いありません。
そこで、今日はこの「これってハードボイルド」を読んで。ひとときのニヤニヤタイムをどうぞ。ちょっぴり心のウサをはらして下さい。
何がたのしいと言って、人の悪口を言っているときほど楽しいものはない。しかし、本人のいる前ではなくて、いないときに言う悪口ほどたのしい。それも「バカ」とか「ウスノロ」とかいうような単純な悪口ではなくて、もっと多角的に総意と工夫をこらして言うほど、満足がゆくようである。
「さあ、だれかの悪口を言ってみな」
と云われても、悪口を言う相手を思いつくことができないのは、何という孤独なことであろうか。
新潮社「両手いっぱいの言葉」寺山修司
「・・・でも、今夜以外なら、いつでも空いているよ。わしは、君に貞淑と、誠実と、純情を誓う。お似合いのカップルだとみんな祝福してくれるだろう。われわれのロマンスは歌にまでうたわれるだろう」
「奥さんはどうするの」
「ええっと、見つからないことを心から祈っている」
早川書房「伯爵夫人のジルバ」ウォーレン・マーフィー/田村義進訳
(電話をかけたところ)
私が何か言う前に相手はすぐにテープに切り換えてしまった。機械、の、声、が、数字、を、ひとつ、ひとつ、しゃべる。あれ、だ。どうしてあんなことをするのか。我らに説教のひとつでもしたいところだが、私もそれほど暇人ではない。
二見書房「処刑宣言」ローレンス・ブロック/田口俊樹訳
アメリカでもっとも政治的に正しくない女であるわたしのママはこういっている。
うまくいかないかもしれないと思ったら、太腿をちらっと見せなさい。
早川書房「父に捧げる歌」ルース・バーミングハム/宇佐川晶子訳
コーヒーを飲めば頭が働くはずだ。本当はビールを飲んで頭の働きを止め、そのうち何となくうまくいくだろうという呑気な気分にひたりたかった。
東京創元社「ピアノ・ソナタ」J・J・ローザン/直良和美訳
完璧な形をしたルーデルの左右の鼻の穴から、それぞれ煙の柱が吹き出し、わたしはそれを深く吸い込んだ。アメリカ煙草のにおいは好きだが、だから吸い込んだわけではない。彼女の胸から出てきた煙だったからだ。この胸にまつわるものは、なんであれ歓迎したい。
新潮社「偽りの街」フイリップ・カー/東江一紀訳
エマ・ウォルッシュは賢かった。わたしにはそれが良く分かった。わたしよりもずっと頭が切れた。頭の切れるボスというやつは始末が悪い。私は落ち着かない気持ちになった。
東京創元社「裁きの街」キース・ピーターソン/芹沢恵訳
「抱いてもらいたいような気がする、トレース」
「気持ちがはっきりするまで待とうか」
「だめ、この優柔不断の一瞬をのがさないで」
またキスをし、それから身体をはなして、大売出しのコートを見るような目で見つめた。
早川書房「二日酔いのバラード」ウォーレン・マーフィー/田村義進訳
「どうして見つめているの?」
わたしはうなずいた。「美人にはいつもこうするんだ」
「他には何をするの?」
「まちがいをおかす」
早川書房『不運な夜」ジム・シーニ/眞崎義博訳
* 糸満久美子ーー1045年沖縄県生まれ。新日本文学校研究科に学ぶ。掲載の短歌は歌集「雨上がりの窓」より。他に歌集「憑かれた口笛」等多数。