Why&No

例外のない原則はないという通り、私的には原則に取り囲まれて生きているけれど、何故か例外もあふれんばかりである。
私の血液型は「どうでもいいA型」なので、何事も鷹揚に
「マ、いいか」と、見境もなくポイポイと例外が生まれる始末である。
と、いう訳で洋画のドンパチ映画専科の私が、最近、なんと邦画を3本も見てしまった。
見た映画は「この世界の片隅に」と「高倉健主演の任侠映画2本」と「中島みゆき Concert 一期 劇場版」。
アニメとやくざ映画と音楽映画。映画のタイトルだけ見ると、なんだか支離滅裂だけれど、これって正々堂々とした理由があってのことである。

私、多くの人が涙を流して感動したというアニメ「君の名は」を見たけれど、いい加減年寄りでしょ、感性がぼろぼろ(2016年11月1日の夢旅人参照のこと)になったみたいで、感動はほんのチョッピリ。
ところが、新聞に
「君の名は」を見てもあまり感動しなかったけれど、アニメ「この世界の片隅に」を見たら感動したという人の記事が掲載されていたので、
「ウーン、そうか。ならば私も見るべきであろう」と思い、ぼろぼろになった感性が取り戻せるかもしれぬと、さっそく見に行った次第である。
この映画はキネマ旬報ベストテン日本映画第1位になったし、他にいろいろ受賞している映画でもある。
第2次大戦下の広島・呉を舞台に、大切なものを失いながらも懸命に前を向いて生きていく女性を描いたアニメだけれど、劇作家で演出家の鴻上尚志さんが

参った。途中から泣けて仕方がなかった映画は初めかもしれない。のんさんの声を聞くと、主人公のすずの孤独が脳内でシンクロして余計に泣けた。すごい、とにかくすごい。

私、1938年生まれ。終戦の年に小学校1年生になったので、終戦当時の生活を思い出して
「ウーン、そうなんだ」と納得しつつ見たものの「泣けて仕方がなかった」とはいかないんですね。ホント、残念。やっぱし私の「感性ぼろぼろ」は完成しているらしい。ウン、歳は取りたくないものデス。

高倉健主演の映画は「新網走番外地 さいはての流れ者」と「緋牡丹博徒 二代目襲名」。
高倉健は我が街の出身である。でも高倉健の映画で見たのは「あなたへ」とか「鉄道員」など。だから彼の寡黙な演技しか見ていなかったので、高倉健の3周忌を記念して上映された、この切ったはったの2本立ての映画を見に行った次第である。
1969年に製作された「緋牡丹博徒 二代目襲名」は、我が街の作家火野葦平の「女俠一代」を映画化したものである。JR筑豊本線の建設工事にかかわる任侠映画で遠賀川などの風景が映し出されたうえに、健さん、なんと
「恰好のいい!!!」 こと。
寡黙な健さんとは別人のよう。ウン、今のヤクザさんは、健さんの映画を見て反省してもらいたいものである。

中島みゆきが2015年~2016年にかけて開催したコンサートが映像化され「中島みゆき Concert 一期」となって上映されたのである。
凄いでしょ。なんたって中島みゆきが“今こそ聴いてほしい”と選んだ名曲20曲が、5.1chサラウンドで・・・ウーン、会場の最前列に座っているような臨場感でアップで迫るんですよ。
それに、コンサートに向けて行われたリハーサルに密着した「リハーサル・ドキュメンタリー劇場版限定」が同時に上映されて、びっくり。彼女の素顔とそのお洒落な装いがすっごく素敵なこと!!! ウン、うっとり&ほれぼれ。
映画は1部から3部に分けて構成されて、1部は“Sweet”。第2部は“Bitter”。第3部は“Sincerely yours”。勿論、「旅人のうた」や「浅い眠り」や「麦の唄」などのヒット曲が演奏されたけれど、圧倒されたのは「Why&No」。
この映画の映像も歌曲も大満足だったけれど、いつもアンコールの時に着てくる彼女のジーパン姿がなかったのは残念至極である。
彼女のジーパン姿、最高なのに・・・。

   Why&No 一部
何か変だと第六感が今うしろ髪引っ張った
だけど訊いたら気まずいようで ここで訊いたら間(ま)が悪いようで
何か変だと寒気(さむけ)のように今いやな感じがした
だけど訊いたら機嫌損(そこ)ねそう ここで訊いたらアタマ悪そうで
根拠もないし 証拠もないし 理屈では敵(かな)わない
でもだいたいそういうのが当たりなんだよね
訊くべきだったね「なんでさ」ってね
間に合わせの納得で黙り込まないで
もしかしたら世の中はそういうものかもしれないなんて
“そういうもの”なんて あるもんか
訊けばいいじゃんいいじゃん「なんでさ」ってね
訊けばいいじゃんいいじゃん「Why & No & No」

世の中、おかしいと思ったら

訊けばいいじゃんいいじゃん「なんでさ」ってね
訊けばいいじゃんいいじゃん「Why & No & No」「Why&No」

なのである。彼女の熱い想いが伝わるこの歌は、現代の日本のあり方を問うているように思えてならない。

  

嗚呼、高倉健

先日、北九州市立美術館分館で、高倉健の3回忌を迎えるのを期に追悼特別展「高倉健」が開催され、その開会式にイソイソと出席した。
私、弾が飛び交うドンパチ洋画専科なので、邦画は見ないことになっている。だから、
「どうして高倉健にイソイソなの?」と言われるかも知れないが、彼は我が街北九州の出身だし、私の出身校・明治大学の商学部商学科の7級上の先輩で、彼が下宿していた永福町に私も下宿していたという自称フーカイ関係があるのである。
アー、それなのにそれなのに、である。彼が出演した映画で、映画館でお金を払って見たのは「あなたへ」だけで、他はTVで見た「鉄道員」と「幸福の黄色いハンカチ」。ホント、高倉健さん、ごめんなさいね。
開会式では、北橋市長の挨拶に続いて、安川電機元社長で北九州商工会議所会頭の利島康司氏が挨拶。利島氏が2010年に会頭に就任された時、北九州市のプロモーションビデオに高倉健さんを起用したらという話をしたら、ローカル新聞にそのことが掲載されたとのことです。
すると高倉健さんからその記事をうれしく読んだとの電話があり、手紙までくれたとのことでした。高倉健さん、東京に居ながら、ちゃんと地元のローカル新聞まで購読されていたんですね。
それから、手紙のやり取りが始まって、映画「あなたへ」のロケで北九州に来た時、安川電機に寄られたとのことで、高倉健さんとのいろいろなエピソードを話してくれました。
利島会頭の話や開会式で頂いた小冊子・高倉健北九州メモワール「そこに、健さんがいた。」を読むと、律義で心くばりの行き届いたやさしい高倉健さんの人柄が偲ばれるけれど、放映されていた任侠映画の映像やポスターを見ると、
「スゴーイ!!!」の一言。まるで人が違ったみたい。さすが名優!!!
私の大好きなドンパチ映画と切ったはったの任侠映画は、相通じるものがあったんだと、今更ながら気が付いた次第である。
会場では、見るだけで2時間もかかると言われたので、チョッピリしか見ることが出来なかった出演作205本の抜粋映像と、「網走番外地」「昭和残俠伝」などの予告編、ほかに彼が愛用した脚本や小道具、スチール写真にポスターやプレスシートといった宣伝物などの貴重な資料が約200点展示されていた。
それに、巡回展示部分とは別に「北九州コーナー」が設けられていて、古い映画のポスターなど約4万点の映画関連資料を所蔵しているわが市が誇る「松永文庫」から寄せられた高倉健さん関連の資料も数多く展示されていて、私、高倉健にスッポリはまってしまった。
小冊子に、若い頃から高倉健にはまっていた詩人平出隆さんが、1970年頃、池袋文芸座のオ-ルナイトで「昭和残俠伝」5本立てを見に行ったと書いていたが、私も、池袋文芸座にはよく行ったけれど、高倉健の任侠映画には出会うことがなかったのである。
それで、凛とした着流し姿を見る機会はないと思っていたら、なんと小倉昭和館で来場者から募った「私が選ぶ健さん映画」を8本上映することが決まり、その第3週に「新網走番外地 さいはての流れ者」と「緋牡丹博徒 二代目襲名」を2本立てで上映すると、場内に掲示されていた。
なんとか、寡黙の健さんでなく切ったはったの健さんを見ることが出来そうである。
ヤレヤレ、良かったデス。

今年はウフフ・・・

朝日新聞の「be between」の頁に「毎年、初詣に行きますか?」というアンケートの結果が掲載されていた。
行くと答えた人が69%、いいえと答えた人が31%と、最近の初詣の混雑ぶりを証明するような結果が出ていた。
行く理由のトップは「新年の無事と平安を祈る」で、次が「年中行事だから」。この二つで64%と大半を占めているそうである。
行かない理由は「混雑が嫌い」が一番多く、2番目は「面倒くさい」と・・・ウン、まあ納得、良くわかります。中には「鶴岡八幡宮に行って3時間近くも並んだのに、トイレを我慢できなくって列を離脱。泣く泣く自宅に戻った」という壮絶な体験をした人もいるそうである。
私も、無論初詣にいく。それも三社詣りである。「蒲生神社」に「篠崎神社」に「八坂神社」。いずれも、地元では由緒ある神社となっているけれど、行くのは3日と決めているので、せいぜい並んでも100m位である。ウーン、九州の片隅の街に住んでいると、いいこともあるのである。大都市にお住みの皆さん、羨ましいでしょ。
初詣では、私、無論「新年の無事と平安を祈る」のは当然だけれど、
「どうぞ、アレもよろしくお願いします」
「それから、コレもよろしくお願いします」
「もう一つ、ソレもよろしくお願いします」と、毎年アレ・コレ・ソレの内容は違うけれど、しっかりお願いすることにしている。
ところが先日テレビを見ていたら、ビックリ&驚き&大ショック!!!
お願いをするときは、神様は誰の願いなのか分からないから、住所氏名をまず言って、それからお願い事は一つにしなければならないとのことである。
今まで、願い事が叶わないのは「何故?」と思っていたのだけれど、どうも、これは私のお願いの仕方が悪かったせいらしい。
でも、今年、住所も言わず三つのお願いもしたのだけれど、神は私を見捨てず、三社でお御籤を引いたところ、最初に引いたのは「小吉」、次に引いたのは位が上がって「中吉」、最後はなんと「大吉」。
凄いでしょ。吉の三つ揃い。「大吉」を引いたのは、とっくの昔のことだから、空前絶後の大喜びである。
ところが、朝日新聞の1月11日に「大吉の次は中吉?吉」という記事が掲載されていて、「大吉」以降の順番は、神社で違うそうである。
私の引いた「大吉」「中吉」「小吉」の順番通りなのは熱田神宮・平安神宮。成田山新勝寺・浅草寺は「大吉」「吉」「半吉」、住吉大社は「大吉」「吉」「中吉」だそうである。
「凶」がない神社もあるそうだけれど、「凶という字は上の部分が開いているように、上を見ていくしかないということで、これからどんどん運気が良くなるんだ」と思えばいいとのことである。そうだよね、これ以下になることはないんです。
平安神宮の担当者は「順位はなく中身が大切。大吉だからと言って書かれていることをおろそかにしないで」と、言われているそうです。
ハイ、分かりました。「運を天に任せず」に頑張ります。・・・とは言え、「買わなきゃ当たらない宝くじ」だけれど「買っても当たらない宝くじ」ということで、買ったことはなかったけれど、今年は「運はお御籤に任せて」宝くじ、絶対買います。
エート、1億円当たりますように・・・。7億円と言わないところが、奥ゆかしいでしょ。だから、絶対当たる。
ウン、今年はウフフ・・・。

丁度よい

 時のたつのは早いもので・・・ン? 訂正、歳をとるのは早いもので、もうお正月。と、いうことで

あけまして
    おめでとうございます

              
ウーン、今年御年79歳になるいい加減年寄りの私などは、一休和尚さんの

「正月は冥土の旅の一里塚。めでたくもあり、めでたくもなし」ではなくって
「正月は冥土の旅の半里塚。めでたくもなし、うれしくもなし」

の心境と言いたいところだけれど・・・。
私、NHKの「紅白歌合戦」は初めからズズズーイと最後まで見て「ゆく年くる年」の除夜の鐘を聞きながら年越しソバを食べ「年の初めは生でさだまさし」をウフフと笑いながら見て眠り、お正月がくればアルコールダメ人間だけどお屠蘇を1杯飲んで酔っ払い気分になり一見豪華絢爛風食べればフツーのおせち料理を食べ三社詣りに行ってお御籤を引き「金運ナシ」などは信じず「恋愛かなう」などの嬉しいお告げのなどの「いいとこ取り」をし・・・ン? 何?
「アラ、〝恋愛かなう〟なんて、そう八さんは関係ないでしょ」って・・・。そんな、実もふたもないことは言わないでください。とにもかくにも、ニコニコとお正月にドップリつかる始末である。アー、疲れた。
我ながらアホ見たい。
でも、昨年、私が親しくしている友人が突然亡くなって、念仏詩人と言われた木村無相さんが

「元旦や 今日のいのちに 遭う不思議」と詠んでいるとおり、

いつ死んでもいい私が、いまこうしてたまたま生きていることは不思議なことなんだ、凄いことなんだと、しみじみ感じる年齢にもなっているのである。
昨年、寂しさがうずまいて眠れぬ夜を重ねた人や、この世の不条理に心こおらせた人もいると思うけれど、今、生きていることを疎かにせず、不思議なこと、凄いこととなんだと思って今年も生きていきたいものです。

石川県野々市町の常讃寺の坊守・藤場美津路さんが「自己否定の苦悩の中で聞こえた仏様の慈愛の言葉」として「仏様のことば(丁度よい)」という詩を書いて寺報に掲載したところ、いつのまにか良寛さんのが書いた「丁度よい」という詩になって全国に広がりました。
何があっても「丁度よい」と思う心。ウーン、こんな心境になれたらいいのだけれど・・・。

  丁度よい   良寛

お前はお前でちょうどよい。
顔も体も名前も姓も、お前は
それは丁度良い。
貧も富も親も子も息子の
嫁もその孫も、それはお前に丁度
よい。幸も不幸も喜びも
悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は悪くも
なければ良くもない。
お前にとって丁度よい
地獄へいこうと極楽にいこうと
いったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する
要もなく上もなければ下もない
死ぬ月日さえも丁度よい
お前はそれで丁度よい

ウン、後は「やるしきゃない」のですね。

※木村無相ーー明治37年~昭和59年。熊本生まれ。25歳から29歳までフィリッピンで働いた後、四国遍路に出て高野山に上り真言宗の修業をしたものの行き詰まり、真宗を求めて57歳から東本願寺の同朋会館の門衛を務め真宗の聴聞に励まれた。 

このプログの「ご挨拶」の頁の末尾に、私の近況報告を兼ねた今年の年賀状を掲載しておりますので、是非、お読み頂くようお願い申し上げます。

じゃあね

街はイルミネーションに彩られクリスマスソングが流れて、いい加減年寄りの私でも、心弾み素敵気分になってしまう。
むかし昔、バブル時代には有名なホテルに予約して胸キュンのクリスマスプゼントをあげ、食事の後は無論アアしてコウしてウッフンフンと素敵な夜を過ごす・・・と、キリストさまはそっちのけの狂騒のクリスマスだったけれど、フルカラーで彩られた時は儚く散って、今やモノクロの時代になったようである。
と、言うのは、朝日新聞be betweenの頁に「クリスマスの行事をやっていますか?」というアンケートの結果が掲載されていて、行事を「やっている」と答えた人は51%、「いいえ」と答えた49%と、やっていない人が半数近くもいるのである。
やっていない人に「クリスマスイブに何をやっていますか?」と聞くと「テレビを見てゴロゴロ」が一番多く、次に「晩酌」「読書」「鍋物やごちそうを食べる」と、まあ、フツーの夜と一緒である。
私は、いい加減年寄りだから「紅白歌合戦は見なきゃならぬ」「クリスマスはやらなきゃならぬ」と、古き良き時代の伝統を頑固に守っているので、ツリーやリースは飾るしチキンやケーキは食べるし、このプログもクリスマスソングのCDを聴きながら書いている始末である。
クリスマスソングを聴いていると、洋楽はハッピイクリスマスと歌っているのが多いけれど、日本は山下達郎の名曲「Cristmas eve」をはじめ何故か別れのクリスマスを歌っているのが多いような気がする。
歌人 諸星詩織が
「ジングルベル街にサンタがやってきた 終わりかけてる恋が哀しい」
と、詠んだように、楽しくあるべきのクリスマスに別れるのは、よけいに切なさが強調されるからであろう。
そして、今年もあとわずかでTHE END。終りを告げた恋やくやしかったことなど、今年もいろいろあったことだと思うけれど、詩人 谷川俊太郎は振り返らなくてもいいんだよと「じあゃね」という詩を書きました。
   

じゃあね    谷川俊太郎

思い出しておくれ
あの日のこと
楽しかったあの日のこと
けれどそれももう過ぎ去って
じゃあね

ひとりぼっちはこわいけど
きみにはきみの明日がある
どこか見知らぬ宇宙のかなたで
また会うこともあるかもしれない
じゃあね
もうふり返らなくていいんだよ
さよならよりもさりげなく
じゃあね じゃあね・・・

忘れちゃっておくれ
あの日のこと
くやしかったあの日のこと
けれどそれももう過ぎ去って
じゃあね
年をとるのはこわいけど
ぼくには僕の日々がある。

いつか夜明けの夢のはざまで
また会うこともあるかもしれない
じゃあね
もうふり返らなくてもいいんだよ
さよならよりもきっぱりと
じゃあね じゃあね・・・

そう、今年の「夢旅人」も、今日で終わりです。今年、辛抱強く読んでくれた方に感謝して、
「来年もいい年でありまっすように」それとも
「来年こそはいい年でありますように」願って、
来年もよろしくお願い致します。 
「じゃあね・・・。」

※ 諸星詩織ーー本名 糸満久美子。1945年生まれ、沖縄出身。掲載した詩は、詩集「雨あがりの窓」より。他に詩集「憑かれた口笛」「愛ぽぽろん」など多数。