いつか最も静かな記念日に

今日は8月15日「終戦記念日」。むかし昔「敗戦記念日」といったけれど、いつのまにか「終戦記念日」となってしまいました。
多分、私の孫の孫の時代には「アメリカと戦争したって本当?」と聞かれる違いありません。その時「敗戦」と言ったら恰好悪いでしょ。我がニッポン国のエラーイ人が深謀遠慮の結果「敗戦」を「終戦」に言い換えることにしたのでしょう。なんとなく、ズルーイ気がするけれど・・・。 
この日、日本のあちこちで「戦没者追悼式」が行われるけれど、戦争を体験した人も少なくなって、その内
「終戦記念日と言ったって・・・」と、風化していくに違いありません。
「終戦記念日」が「戦没者を追悼し、平和を祈念する日」となっている通り、戦争でお国のために命を捧げた多くの犠牲のうえに、今の平和がもたらせている訳ですね。
宇宙飛行士が宇宙から地球を見て「あんな小さな星で、ゴチャゴチャするなんてどうかしている」と思ったそうです。でも、この小さな地球のあちこちで争いが絶えることなく続き、いつ、日本もその渦に巻き込まれるかもしれません。
「終戦記念日」は、別の意味で平和がもされた「平和記念日」でもあるのですね。この「平和記念日」が、永遠に続きますようにと言っても,はかない夢かもしれませんが・・・。
そして、ミュージシャン後藤正文さんもこれを願って「いつか最も静かな記念日に」というエッセイを、朝日新聞に連載しているコラム『後藤正文の朝からロック』に掲載していました。

                    いつか最も静かな記念日に

今年のアメリカの独立記念日。僕は自分のバンドのワールドツアーにロサンゼルスの滞在していた。
友人の家に遊びに行くと、彼は玄関口に青いTシャツと赤いズボンで現れた。独立記念日に合わせて、アメリカ国旗をイメージしたコーディネートであることがすぐにわかった。
夜には、街のあちらこちらで記念日を祝う花火が打ち上げられていた。イベントなどの大きな仕掛け花火もあれば、個人が勝手に道路脇で打ち上げる小さなものもあり宿泊するホテルのロビーにまで、火薬のにおいが漂っていた。
テレビをつければ、様々なチュンネルで、アメリカ国旗をバックに人気歌手が歌っていた。
アメリカ人はアメリカ合衆国のことが、とても好きなんだなと思った。特別に構えたところのない、無邪気な愛国心をまぶしく感じた。少しだけうらやましくもあった。
日本人はどうだろうか。
多くの市民が近しい感情を共有するのは、真昼の終戦記念日だけかもしれない。それでも、各地で捧げられる静かな祈りが、お祭り騒ぎよりも僕たちには合っているように感じる。
アメリカの独立記念日は約240年の歴史がある。
同じくらい祈り続けていけば、観光客がうらやむ平和の祭典になるかもしれない。きっと世界で最も静かな記念日だろう。僕は、そんな日を夢想する。

※ 後藤正文ーーミュージシャン、ボーカリスト、ギタリスト、作詞家、作曲家。「ASIAN KUNGーFU GENERATION」のメンバー。

精霊の守り人

北九州市立文学館で7月22日に「上橋菜穂子と<精霊の守り人>」展の開会式と開会記念講話が行われた。
私は、文学館の友の会に入っているので、特別展が開催されるときは、開会式の招待状が届く。
文学館の館長今川英子先生は、私的に言えば、素敵な女性にして、かつ彼女の企画する特別展は見に行く前から「素晴らしい」ということになっているから、いつも期待に胸を弾ませてイソイソと出かける。
念の為に言っておくけれど、イソイソと行くのは今川英子先生に会えるから行くわけではない。あくまでも展覧会を見に行くのである。これ、本当である。
展覧会のテーマとなっているのは、NHK総合TVで4Kで撮影され昨年より2回に分けて放映中のファンタジー大河ドラマ「精霊の守り人」である。今年の11月に最終回となる「シーズン3」が放映されることになっているそうである。
もともと、ファンタジー映画は私の趣味ではない。まあ、かの有名な「ハリーポッターシリーズ」は、世間の話題についていくために見に行ったけれど、ファンタジーファンになるまでには至っていないのである。
しかし、この「精霊の守り人」の予告を見た時、凄腕の用心棒「綾瀬はるか」のカッコいい戦闘シーンを見て、私の大好きな弾を撃って撃って撃ちまくるドンパチ映画のハラハラドキドキシーンと相通じるものがあったので、ファンタジードラマだったけれど見ることにした次第である。
今回の展覧会は、国際アンデルセン賞を受賞した上橋菜穂子の代表作「精霊の守り人」シリーズの関連資料や文化人類学の研究資料、TVドラマやアニメの関連資料など上橋菜穂子の魅力あふれる展示で、驚いたのは異世界「ナュグ」を表現したインスタレーション。
インスタレーションを経験したのは、私、初めてである。上下左右全面鏡張りの小部屋に入ると、どこを向いても私がいっぱい、ドッキリ&ビックリ。
おまけに正面の鏡には、私自身が異世界の人間となって怪しく映し出されいて、私の動きに合わせて、ぴったり動く。異世界が体験出来るという仕掛けである。
私がインスタレーションの室に入ったとき、若い女の子が飛んだり跳ねたり踊いたりして「キャッキャッ」と楽しんでいたけれど、それを見ていると異世界の世界にいるようで、楽しい経験をさせてもらいました。
開会式の北橋健治市長と今川英子館長の挨拶の後は開会記念講話。講師は、NHK大河ドラマ「精霊の守り人」の監督をしている片岡敬司さん。撮影中の映像を交えながらの裏話は、驚くばかり・・・。
綾瀬はるかが戦うとき見せる短槍シーンは、VFXで合成されたものと思っていたら実写らしく、彼女は運動神経抜群ということで、力いっぱい振りまわす槍に、バッタバッタと倒れる敵役の俳優さん達は戦々恐々らしい。
ファンタジーながら、ロケした場所は宮崎や鹿児島が多いそうで、どうもわが九州は、異世界に近いみたいで嬉しくなってしまいました。
このドラマはNHKの大河ドラマより、製作費は高いということだけれど・・・これは、言われなくってもドラマを見ているだけで分かる・・・外国では高い評価を受けているとのことである。外国では、平安時代や江戸時代と言ったってピンと来ないから、大河ドラマといえども受けが悪いらしい。
文学館の展覧会と言えば、今までは作家の自筆の原稿や手紙など、展示物に事欠かなかったけれど、今や、原稿はパソコンで手紙はメールでという時代になって、文学館の展覧会は何をどう展示するか苦慮する時代になっているそうである。
でも、話題を先取りしたこの「上橋菜穂子と<精霊の守り人>」展」は、センスあふれる展示も素晴らしく、インスタレーションを取り入れたりして、画期的な展覧会になっていました。
ここで、コマーシャル!!!
この展覧会は9月3日まで開催されていますから、どうぞ見に行ってくださいね。
そしてNHKのドラマを見てない人は、展覧会に行けばNHKのドラマを見ようと言う気になりますから、どうぞ、見に行ってくださいね。

トホホホ・・・

 北部九州豪雨。私の住む街北九州市でも、市内を流れる川が危険水域に達したので、避難準備情報が出されたけれど冠水することもなく、事なきを得た次第である。
でも、今回の大水害は、よく知っている地名が出てきて、被災された方々の心情を思うと心痛むばかりである。
東北大震災の津波の映像と同じように、今回の濁流のすさまじさは、
「ン? これ、何?」と、現実のものとは思われないほどの衝撃を受けたけれど、最初は貯木場の材木が流れてきたと思った位である。それが、立木と知って
「ア然」となったけれど、従来の水害と異なり土砂と流木に埋もれた映像を見ると、流木災害・土砂災害と言えるのかも知れない。
むかし昔その昔、怖いものは「地震・雷・火事・親父」と言われていたけれど、今や、親父の権威は地に落ちて「地震・雷・火事・水害」と変えねばなるまい。
最近の雨は、一点集中主義のうえに降れば激雨でしょ。それに、梅雨も明けきらないのに、日本国の南北に関係なく至る所で35度以上の猛暑日が発生。
これって、今年だけの異常気象という訳ではなく、毎年の事となるのでしょうから、これからは夏日は30度以上、真夏日が35度以上。猛暑日が40度以上となるに違いありません。
英国の「スターン報告」によれば、1度気温が上がったらアンデス山脈の小氷河が消滅し、5000万人に水供給の危機が生じ、サンゴ礁の80%が白化するそうです。
トホホホ・・・。でも、かかる事態になったのは誰のせいでもなく、私たちが快適な生活を求めて、自然を我がもの顔で支配し、資源を浪費したツケがまわってきた結果でしょうから、我慢するしかないのでしょう。
自然は数百年単位で変化していくものでしょうから、今さら、ジタバタして反省しても間に合わないことでしょうけれど、私たちの孫のその孫のそのまた孫のために、できるだけ不要なものを買わず、再利用やリサイクルを心がけて節電をしたり、外出時の車利用を自転車や公共機関に切り替えたりして・・・ウン、まあ出来ることから初めましょうね。

心にひびいて・・・言葉

 梅雨。私は雨がダイキライである。窓の外をシトシトと・・・ドカドカとではない・・・降る雨を見ると、心も穏やかに静まる心地がするけれど、窓の外を歩くのはダイキライである。何故かと言うと、私、雨に濡れるのがダイキライだからである。
むかし昔その昔のそのまた昔・・・きっと誰も知らないんでしょうけれど・・・「雨に唄えば」というミュージカル映画があって、ジーン・ケリーがどしゃぶりの雨の中で傘を相手に夜の街角で歌い踊る有名なシーンがあったんだけれど、ウン、まあ今でも思い出すくらいの素敵なシーンだったけれど、でもやっぱり、私、雨に濡れるのはダイキライである。
だから、梅雨はダイキライ!!! いいかげん年寄りだから、外出しないでノホホンと雨が降るのを見てればいいけれど、何故か忙しく、6月に外出しなかったのは5日だけという散々たる有様である。雨嫌いがつのる毎日なのである。
私にとって、梅雨は憎つき相手だけれど、日本語って凄いんですね。梅雨を表す文字を見ると、優雅で美しい言葉がいっぱいあって、
「梅雨って素敵!!!」と惑わされてしまいそうである。
五月雨、茅花流し、麦雨、田植雨、黴雨、短夜の雨、走り梅雨、水取雨、霖雨、筍梅雨・・・。
言葉って、不思議な力をもっているんですね。そう、詩人 谷川俊太郎の詩「言葉」の通り・・・。

    言葉   谷川俊太郎

何もかも失って
言葉まで失ったが
言葉は壊れなかった
ひとりひとりの心の底で

言葉は発芽する
瓦礫の下の大地から
昔ながらの訛り
走り書きの文字
途切れがちな意味

言い古された言葉が
苦しみゆえに甦る
哀しみゆえに深まる
新たな意味へと
沈黙に裏打ちされて

うん、そうなんですね。「ひとりひとりの心の底で」とあるように、ここで私の心に響いた言葉をご紹介します。

朝日新聞朝刊の一面に鷲田清一さんが選んだ「折々のことば」という小さなコラムがあります。そこに掲載されていた言葉の数々から・・・。

でもなぜ、人間は自分と違うものを許せないんだろう ・・・ 川上弘美

海のものとも山のものとも知れないのは、君にとっての彼女であり、彼女にとっての君なのだよ ・・・ 池上哲司

続けるという行為は、えてして新しいことに取り組むよりもエネルギーのいることなのかもしれない ・・・ 山中隆太

ホラは他人をよろこばすためふくもの ウソは自分のためにつくもの ・・・ ある父親

悩みってほんとはすごくシンプルなことをあーだこーだ言い訳することから始まるのね ・・・ 安田弘之

理解し合えるはずだという前提に立つと、少しでも理解できないことがあった時に、事態はうまくいかなくなる ・・・ 村上龍

どん底には明日があり、頂上には下りしかない ・・・ 坂本健一

お前は自分が常に正しいと思っているだろう。しかし正しいことを言うときは人を傷つけるということを知っておけ。 ・・・ 竹下登

女 その2

今日の「夢旅人」は、アメリカのミステリー作家が描いた女性に関する名言・迷言集の続編「女 その2」です。
読んで「ウン、納得」という文章がありますように・・・。

彼女は松林を吹き抜ける風だった。月明かりに照らされた谷を横切る雲の上の青い影だった。そよ風に乗って突然漂ってくるみずみずしい花の香りだった。私が近づいていくと、彼女は顔を上げた。チャイムが鳴った。

早川書房「ブリリアント・アイ」ローレン・D・エルスマン/村田勝彦訳

つまり、印象をひとことでいうならば、自信にみち、なにげないしぐさにも品の良さがにじむ。老舗のデパートの贈答用の包み紙のようにあかぬけていた。

早川書房「泥棒のB」スー・グラフトン/嵯峨静江訳

目の上からブロンドの筋のはいった前髪を払いのけながら、わたしを含めて店にいる男という男を悩殺していったが、視線が絡み合うことはなかった。

早川書房「名ばかりの天使」マイク・リプリー/鈴木啓子訳

チコの顔は小麦色で生気とビタミンと良性の遺伝子でピッカピッカに輝いている。見ているだけでヘルシーな気分になってくる。

早川書房「伯爵夫人のジルバ」ウォーレン・マーフィー/田村義進訳

彼女は信託資金と裕福な旦那と恥辱のもたらす刺激によって作り上げられたゴージャスな女だった。

早川書房「死者は惜しまない」ナンシー・ピカート/宇佐川晶子訳

潤んだ目はどこかしらうつろで、そこに何なりと都合のいい物語を書いてほしい、と男に向って言っているようだった。生れ付き美人なのはあなたの問題だとしてもあたしには関係がない、といわんばかりの態度だ。バストは小さかった。しかし、バストのサイズとそれが引き起こす感情は反比例するのか、と思わせるようなところがあった。

扶桑社「最後に笑うのは誰だ」ラリー・バインハート/工藤政司訳

(ドアが開いて)
信じられないような赤褐色の髪と、一度落っことされて、拾い上げるときにもう一度落っことされたような顔の女が出て来た。彼女は東洋風のドレシング・ガウンを着て、誰かのおならを思わず嗅いでしまったような表情をしていた。

早川書房「泥棒は抽象画を描く」ローレンス・ブロック/田口俊樹訳

(立ち去るジュリアンに向って)
「悪くない」
ふりむいた。「なにが」
「歩き方が」
また冷たい目。・・・
「もうひとつ」ふりむいた。
「きみはいつもこんなに美しいか。それとも今日は特別なのか」・・・
ジュリアンは部屋から出て行き、ピシャリとドアをしめた。

新潮社「追いつめられた天使」ロバート・クレイス/田村義進訳

彼女はでぶでむさ苦しかった、と言っているのではない。ただただ彼女には量があった。それだけだ。

早川書房「泥棒は抽象画を描く」ローレンス・ブロック/田口俊樹訳

謎めいた怒りの言葉を吐いて、ミセス・カルヴァーソンはくるっと向きを変え、他の弔問客に美容整形の驚異を見せつけに大股で歩きさった。

早川書房「死者は惜しまない」ナンシー・ピカート/宇佐川晶子訳

(男なんてクソくらえと言っているのも当然で)
彼女は小柄で、なかなかのべっぴんだった。髪がきれいで、脚が長く、まつ毛も長い。長いほうがいいものはぜんぶ長く、女はこうでなきゃと雑誌に書かれているとおりの娘だった。
彼女なら、男を軽蔑していいさ。

早川書房「汚れた守護天使」リサ・コディ/堀内静子訳

(フランクの秘書は)
都会風の厚化粧の下に、若々しい田舎娘の顔を隠している。ジーンズとブラウスがぴったり体に合っているところから察して、さぞかし雇い主の追跡意欲をそそっているのだろう。

早川書房「凝り屋のトマス」ロバート・リーヴズ/堀内静子訳

(70歳のローズは)
名前とは裏腹に、華やかなところは皆無だが、一部の愛想のいい人々にトゲがあるのと対照的に、物柔らかな雰囲気を漂わせていた。彼女の場合、それは、ごつごつした岩山をよく見たら一片のレースの縁飾りがついていた、というようなものだった。

早川書房「虹の彼方に」ナンシー・ピカート/宇佐川晶子訳