男系男子それとも血統?

高市ソーリが誕生した時、男社会のニッポン国の中でも特に男が跋扈する政治の世界に、女性目線の総理が出現すれば、少しは政治が変わるかもしれないと期待したものである。今、問題とあっている「愛子天皇」が検討されるかもと思った次第である。

当初は、高市ソーリは、テレビの前でも固い表情で現れることが多かったが、最近はにこやかに笑みを浮かべていつも登場。でも、眼は笑っていないので「あれって作り笑い」・・・なんて言っては失礼であろう。美人の女性の魅力を十分に発揮しているだけである。

ところが高市ソーリは安部元総理の秘蔵っ子とあって、女性目線をかなぐり捨てて男性目線を振りかざし、自民党の主張でもなかった「皇室典範」や「定数削減」に「副首都構想」を、今度の国会で可決しろとの意向である。

特に、高市ソーリは「定数削減」と「副首都構想」は後回しにしてでも、「皇室典範」は喫緊の課題だから最優先で議決しろとの厳命である。

今のルールでいけば 皇位継承は現天皇→秋篠宮→悠仁となっており、現時点では「男子は継承されている」のだから、皇位継承問題は「喫緊の課題」でも何でもない。

問題となるのは、今から三代目の悠仁さんの子供が女の子ばっかりとなった時である。今からウン十年後に男系男子の見込みがなくなった時である。その時点で。「男系男子の確保」が問題になるのである。

それが、今、どうして「喫緊の課題」?

「立法府の総意」を得た訳でもないのに、そして「国民の総意」を得ているという理由も明かさずに、なぜ今国会で可決しなければならないのか、訳が分からない。

多分「愛子天皇」が世間で話題となり、下手すれば「皇位継承資格は男系男子」という神武天皇から約2600年続いている伝統が破られ「女系家族」が誕生することを憂慮しているのであろう。

でも、愛子内親王は、生まれながら天皇・皇后の背中を見て育っているので「天皇家」の在り方を頭で理解しているのではなく、身体に染み付いているのである。普段の愛子内親王の立ち振る舞いをみても、天皇・皇后陛下と何ら遜色ないのである。

またラオスを訪問された時に内面からにじみでる人柄と気品に、ラオスの人たちは魅せられて、すっかり「愛子さま」ファンになったらしい。

ギネス世界記録に「日本には男系男子が約2600年続いている現存する最古の君主家がある」とあるが、2600年の間「すべての天皇陛下に男の子が必ず生まれた」なんてあり得る訳がない。絶対に女の子だけという天皇もいたはずである。

昔は、天皇陛下に男の子が生まれなかった時は、側室(今でいえば2号さん・おめかけ)を連れてきて男の子を産ませ、天皇の籍に入れれば「男系男子」の誕生となったのである。
最初の側室に男の子が生まれなかったら、また新たな側室を設けるということで、これが2600年の間「男系男子」が絶えなかった訳である。

今や、側室を設けることが出来なくなり、2005年に小泉首相の私的諮問機関である「皇室典範に関する有識者会議」が提出した報告書には、「男系による継承を貫こうとすることは、最も基本的な伝統としての世襲そのものを危うくする結果をもたらす」とある。

もし、ここで「なになに家」から養子をもらい天皇の籍にいれて天皇にすれば、2600年続いた現天皇家の血統から「なになに家」の血統に代わるということになるのである。これって「形だけの世襲」。2600年続いた血統が消えてしまった!!!

「皇位は、世襲のもの」とする憲法第二条の規定は、男系にとらわれたら世襲は守れなくので、女性・女系天皇でも良いということを意味していると思われる。
世襲が大事ということである。どこかの家の男系男子より血統が第一と思う。

・・・てなことを、そう八さんレイレイしく書いているけど、女性に弱いそう八さんのことだから、理屈抜きに、とっても可愛い愛子内親王のファンなんでしょうね。身贔屓しているんだ、きっと・・・。。

 

生きたい・・・

沖縄戦で組織的な戦闘が終結したとされる6月23日に「慰霊の日」を迎えた。一般住民を巻き込み20万人余りの尊い人命や文化を奪った沖縄戦から81年。

沖縄県主催の沖縄全戦没者追悼式で、高市総理がヤジが飛び交う中で建前通りの挨拶をしたが、豊崎中学校2年のかわいい亀谷琉奈さんが、強い瞳で見据えながら懸命に詩を朗読した。長い詩だったので一部を省略して紹介する。

生きたいと願った証(抜粋)

あの日の沖縄には
青い海も
優しい風もなかった
空は黒く
地面は揺れ
人々の叫び声が絶えなかった
爆撃の音が
心まで壊していく

まだ若かった曾祖母は
小さな体で必死に走った
血だらけの道を
倒れた人たちの横を
もう動かない人を見ながら
涙を流す暇もなく
ただ生きるために
そして
愛する夫の命を案じながら
「お願い 生きていて」
その想いだけを胸に
足がもつれても
呼吸が苦しくても
転びそうになっても
前へ前へと走った
しかし
その願いは
もう二度と届かなかった

曾祖母の右足には
今も傷が残っている
それは
戦時中 自分で引っ掻いた傷
灰色の空の下
爆撃の音が鳴り響く
恐怖と不安でいっぱいになり
右手に握った石で
自分の右足を何度も何度も引っ掻く
気づけば手も足も血だらけだった

平和は当たり前じゃない
たくさんの人の涙と苦しみと
「生きたい」という願いの上にある
だから私は忘れない
沖縄戦で苦しんだ人たちを
愛する人を守ろうとした想いを
泣きながら生き抜いた人たちを
そして
曾祖母の右足の傷を
「生きたい」と願った証の傷を
平和な未来へと繋いでいくために

ドンパチ映画が少ないなんて・・・

1月末に気を失い脈が一時途絶えて心不全でなり、救急車で運ばれてアノ世行き・・・ではありません。小倉記念病院で2月上旬に心臓にヘルスメーターを埋め込む手術をして一見落着しました。

ところが、気を失ったとき頭を強く打った衝撃で頭の血管から徐々に血が漏れ、1カ月もたつと頭全体に血が充満していることが分かりました。
そこで、4月上旬に頭に2か所も穴を開け血を抜き取る手術をしました。痛っかった!!!です。

そして、手術後の5月上旬に再度血が漏れていないか検査したところ、なんと頭の右半分に再度血が溜まっていたことが分かり、トホホとまたもや再手術。なんと、しっつこい血!!!

それで、1か月後の6月5日に血がもれていないか検査したところ・・・見事に頭はすっきりくっきり。万々歳です!!!
でも、しっつこい血が、またカムバックするかもしれないかもと、念のために8月に検査をすることになり、まあ、目下仮釈放の身分です。

ということで、今日の夢旅人はすっきり爽やか頭で原稿を書こうと思いましたが、現役復活・・・ン? 老役復活という訳で、何やかやと忙しくて、今日の夢旅人は手抜き。昨年見た映画をご紹介します。

洋画は
「ビーキーバー」「プロフェッショナル」「アマチュア」「ミッションインポシブル ファイナル・レコニング」「バレリーナ」の5本。
邦画は
「中島みゆき 歌会VOL.1」「国宝」は2回「鬼滅の刃 無限城編 第1章」「秒速5センチメートル」「野火」「てっぺんの向こうにあなたがいる」の6本。

なんとたったの11本。まあ、吉永小百合さんの映画があったから文句は言わないが、私の全盛期には20本近く見ていたので、哀れな惨状を示しています。わたし、見るのは洋画のドンパチ映画専科にして邦画は吉永小百合さんの映画のみのとなっているのに、洋画と邦画が逆転するという珍現象が起きていました。

国宝を2回見たのは、1回目は評判がいいから。2回目は同級生の女性が行橋からわざわざ見に来たとので、案内がてら一緒に見に行きました。

例によって、見た洋画はタイトルだけ見ても、そのストーリイは全く覚えていません。敵はバタバタ倒れで「ざまあ見やがれ」と、スカッと爽やかな気分になるドンパチ映画は、ドンパチシーンがメインでしょ。ストーリーはご都合主義となっているので「スカット忘れるドンパチ映画」になっても仕方ありません。

それに比べると、邦画はタイトルを見ただけでどんな映画か想像がつきます。
私、吉永小百合さんと中島みゆきさんの映画、それと話題になった邦画は見に行くことにしています。だけど「野火」って映画はむかし昔話題になったけど、今は「?」の映画です。

「戦後80年特集映画」として、わが街のミニシアター「小倉昭和館」が8月に上映したものですが、見に行ったのは映画の上映が終わったあと、この映画を監督した「塚本晋也」と、わが街に住む画家「黒田征太郎」の対談があったためでです。
「黒田征太郎」は、わが街で彼の作品をよく見かけるし、こんな凄惨な映画を作った「塚本晋也」がどんな人か知りたかったので、見に行った次第。

対談の内容は、例によって忘れてしまったけど、面白かったのは間違いなく、あっという間に1時間が立ってしまい「もう終わるの」と思った次第でです。

今年は2月から5月まで、心臓の手術を1回に脳の手術を2回して入院していましたので、まったく映画を見に行っていません。退院したので汚名挽回と思っていますが、上演予定を見ますと、ドンパチ映画は皆無!!!

どうなっているの?

めでたし目出度しになるの?

  • わたし、1938年7月30日生まれ、今年88歳、米寿(ベイジュ)になります。米という漢字を分解すると「八十八」になるから「米寿」となったようです。今でこそ88歳の人はいっぱいいるけれど、むかし昔そのまた昔は88歳の人は希少価値。「よくぞ長生きしましたね」ということで、一族郎等集まってお祝いをしていたみたいです。

わが家でも、5月のゴールデンウイークに3人の息子夫婦に4人の孫を加えて10人来てもらい、ホテルで「米寿の祝い」をすることになりました。
息子たちが親父の米寿の祝いをしようと集ったのではなく、うちのおかみさんの「米寿の祝いをするから万障繰り合わせて絶対来るように」との命令以下、全員仕事持ちの身でしたが東京・長野・名古屋からかけ参じた次第です。

ホテルでは、黄色いチャンチャンコを着せられて帽子をかぶり、ホテルに設けられている神殿で祭事をしました。

私、神主さんが来てお祓いをするだけだと思っていましたが、神主さんと巫女さんで色々な所作をすること30分。神主さん、いろいろ祝詞をあげられましたが、チンプンカンプンなれど、有難く頂戴しました。終わって全員で玉串を捧げ「長寿守」のお守りを有難く頂いて無事終了。
ヤレヤレでしたが、これで長生きできるらしいです。ン? エート、長生きできるはずらしいです。ン? 長生きできるかも・・・。

それからアトリエでの記念写真撮影、食事会場での集合写真写真撮影のあとようやく祝宴。ワイワイ&ガヤガヤとおいしい料理を食べながら、話もつきませんでした。
集合写真が出来るのは1カ月あとのこと。さぞかし全員美男美女に様変わりしていることでしょう。
「これは誰?」なんてことになりませんように・・・。

孫たち4人は、子供のころ会っただけ。成人になって会うのはこれが最初で最後になると思うけれど、社会人ぷりがさまになっていて大安心しました。子供と孫の心配をしないですむというのは、最大の親孝行であるにちがいありません。

食事のあとは、全員「プレミアムホテル門司港」に行き宿泊。翌日、バイキングの朝食をたらふく食べて全員我が家に行き、コーヒを飲みながらワイワイ&ガヤガヤを再開した後、それぞれ解散しました。ゴールデンウイーク中なので、それぞれ行きたいところ経由で帰途についたようです。

前回の夢旅人で3度目の手術後に身体に異常がないか検査した結果、肺の中に血栓が3個ほど見つかり血栓を溶かす薬を飲むことになりました。
脳に溜まる血も薬で止めようということにあり、脳の検査を6月5日、肺の経過を見る検査を8月10日にすることなたので、今、毎日9種類の薬をひたすら飲み結果待ちの「仮釈放」の身です。

検査次第では脳と肺の手術となるやもしれず「米寿の祝い」の効果があったのかどうか、あとは「神頼み」・・・なんて言っては先生方に失礼ですね。

先生方にお任せすることにして、7月30日の誕生日に米寿を迎えられたら、神主さんから頂いた「長寿守」を肌身離さず持ち歩くことにしましょう。

続 続 またもやビックリ

前回の「夢旅人」に「二度あることは三度ある」と書きましたが、宝くじなど当たったことはないのに、都合の悪いことはどんぴしゃり当たって又もや病院のベッドの中です。

頭の血を抜いて1か月後の5月8日に手術後の経過を見ることになっていました。
どこも異変を感じることもなく、こんどそ「卒業証書」をもらえると、意気揚々と小倉記念病院に行きアレコレで検査をうけたところ・・・なんと、頭の半分に又もや血が充満していることがわかり、そのまま手術室に連れていかれ「二度あることは三度ある」と、三度目の手術を受ける羽目になりました。トホホト&トホホホ・・・。

今回の手術は、前回血を抜いた穴を利用して血を抜くとのことで、これなら安心と思っていたらとんでも大間違い。
手術が終わり傷口を縫う段階になったところ「イタ!イタイ!!イタイタイタイ!!!」の連発。なにしろ「ばかでかホッチキス」で縫うのですから、仕方ないと言えるかもしれません。

1回目の心臓手術の時は,太股から血管を通じてペースメーカーを入れたので、手術の後に血管の穴をふさいだだけで痛さなし。
2回目の手術の時も、手術が終わったら「ばかでかホッチキス」で傷跡を縫っているのに、痛さなんか感じなかったでしょ。なのに今回はなぜ「イタイタ連発」になったの?

頭の中の血管から血が滲み出しているのが止まっていないということなので、再度身体をチェックすることになり、5月12日9時半から造影剤を入れて頭の中の写真を撮る検査を始めて、アレコレの検査がスタート。終わったのがなんと15時。

しばらくして、検査の結果が出たらしく、先生から説明がありました。
検査の結果、肺の中に血栓が3個あるのが分かったので、血栓をとかす薬を飲みダメだったら手術。それが終わってから頭の中の出血を止める方策を考えますとのお告げ!!!
またまた大ビックリ!!!

心臓に1回、脳に2回立て続けに手術をしているので、もう勘弁してほしいと言いたいところだけど、ほっといたらいずれも死につながる症状だからと言われ、無条件降伏です。

かくして、パソコンを病室に持って来てもらい、病室でこの「夢旅人」の原稿を書いています。トホホホ・・・。
ああ無情・・・。