許せないのは・・・ 2

今日の夢旅人は、前回に引き続きテレビで見る映画番組とドラマです。

4月には、スゴイことには私の映画の見方を変えた映画が2本も放映された。2本ともテレビで何度も放映されてきているが、しっつこくしみじみ見ることにしている。

NHKBSで「セーラー服と機関銃」が放映。私の趣味は「映画」だけど、44年前に上映されたこの映画を見るまでは、ただ漫然と映画館通いをしていたのである。

この映画は薬師丸ひろ子の「可愛い」という前評判につられ、私、可愛い大好き人間なので見にいったところ、彼女が
「快感!!!」と叫びながら機関銃をぶっ放すシーンを見た途端、私の好みは「ドンパチ映画」に一変してしまった。

以来「ドンパチ映画」を見てテキがバタバタ倒れると「快感!!!」と心の中で叫ぶ。すこぶるイイ気分!!! ストレス解消このうえなし。

2本目はNHKBSで放映された映画「怪盗ルビー」。37年まえに上映されたこの映画の原作はヘンリー・スレッサー。ミステリィ大好き人間なので原作は読んでいたし、監督はお洒落なカットで有名な和田誠。何が何でも「見なきゃ」と行ったところが、なんとアイドルの小泉今日子が主演。

小泉今日子といえば、突飛な装いでキョンキョンとしか知らなかったが、映画では場面が変わるごとにお洒落な装いで登場し、アッケラカンと演じて可愛いさいっぱい魅力いっぱい。そして相手役の真田広行と交わす軽妙な会話にすっかり魅せられてしまった。以来、私は小泉今日子は歌手でなく俳優であると信じている。

ドラマはNHKの大河ドラマを見ることになっているので、面白くないと云われていても見るのが我が森家の伝統である。

「ドンパチ ドラマ」などは、わがニッポン国は世界に冠たる安全な国となっているので「アホみたい」と差別されて制作されないことになっている。放映されるのはせいぜいピストルを一発ぶっぱなすくらいの刑事ものぐらいである。これって「アホみたい」だから見ない。

「恋愛ドラマ」は、自分が愛した恋したというのならともかく、他人の愛した恋した物語である。別世界の出来事としか思えぬので「アホみたい」に思える。だから見ない。

シリアスな人生を描くようなドラマは、シリアスな人生を生きているのに、今更テレビでダメ押しして見ることはなかろうと思って、これも見ない。

とはいえ、ドラマをまったく見ないことはない。なんと、4月から小泉今日子が出演する「続・続・最後から二番目の恋」第3話の放映がフジテレビ系で始まった。じっくりしみじみ見るために録画して見る。

11年前、新聞の番組頁の「最後から二番目の恋」というお洒落なタイトルに目が止まり、出演者を見るとなんと小泉今日子が出演。
心ふくらませてみると、タイトルどおり素敵いっぱいのドラマとなっていて、ますます小泉今日子が大大好きになってしまった。
以来「続」も次の「続」も見たのは当然のことであろう。

今回の「続・続・最後から二番目の恋」見ると、まずタイトルの文字の書体は私好みの書体で素敵! それにドラマの最初と最後にタイトルや出演者が打ち出される場面のカットがすこぶる付きにお洒落!! それが「一見 和田誠」風!!! センスいいなと、感服した。

彼女はテレビ局のプロデューサーを演じ第1話の時から年を重ねもう定年前になっているけれど、年齢に合わせたその装いはやっぱりお洒落!!!
鎌倉市役所を定年となって嘱託として働いている中井貴一とのほのぼのとした関係がさりげなく描かれているうえに、テンポよく軽妙洒脱な会話が飛び交って、心ほんわりとニコニコしてしまうドラマである。

もう第5回まで進んできたけれど、最後は「めでたし目出度し」とならずに「続・続・続・最期から二番目の恋」が放映されるようにして欲しい。

かくして、私、テレビで見る番組は限定されているので、毎日ヅヅヅーイとテレビのとりこになっている訳ではない。
毎日見るのはニュース番組だけ。

トランプ大統領が、毎日のようにテレビに姿をみせているが、
許せないのは、ローマ法王の逝去に伴いコンクラーベが行われるというのに、トランプ大統領自身がローマ法王の衣装を着た合成写真をメデアに公表した場面。冗談にもほどがある!!!

許せないのは、トランプ大統領が演説会場で、両手を握りしめお尻を振りながら満足気にステップを踏む場面。大統領の品位なんてマルッキリなし。これって世界冠たるアメリカ大統領の仕草!!!

許せないのは・・・

私が見るテレビ番組は、ニュース番組と音楽番組に映画と時々ドラマ。バラエティ番組は見たことがない。

バラエティ番組は、出演者がいっぱい登場。そして事あるごとに、全員でゲラゲラと・・・これってヒンがない、失礼。オホホホと・・・でもないし、ニコニコと・・・でもない。まあ、要するにワハハとかハッハツハと大口を開けて笑いながら拍手しているのを見ると「???」という感じがして、見ないことにしている。

私、昭和の初めの生まれ。昭和ドップリ人間としては、拍手するのは式典でオエライさんの挨拶が終わった時とか、講演会やコンサートにお芝居・演芸等が終わった時にする位である。
だから、バラエティ番組で出演者の皆さんが拍手していても、こちとら一緒に拍手する気にはならない。

・・・てなことを云っても、これって時代遅れの人間のタワ言。バラエティ番組愛好者の皆さん、ご勘弁のほど・・・。

音楽番組で必ず見るのはNHKでは、大泉洋の「SONGS」。大泉洋の出演者から引き出すオシャベリが大好き。

4Kでは、リリー・フランキー&上白石崩歌の「The Covers」。リリー・フランキーの蘊蓄ある絶妙な会話が素敵。

それと「歌える!青春のベストソング」。ナビゲーターの広瀬智美が番組の最後に披露する歌がスゴイ!!! アッケにとられてスッゴク愉快。28日には大好きな忌野清志郎の「ザ・モンキーズ」が放映された。清志郎はド派手な装いでパフォーマンスを演じているけれど、本当はとってシャイなミュ-ジシャンと思っている。

民放では、フジテレビ系の仲間由紀恵&軽部真一の「MUSIC FAIR」。ほとんど馴染まない歌手がゾロゾロ。でも、別世界の音楽に接する唯一の番組なので「フーン」と感心しながら、若い女の子のグループが脚をピョンピョン上げながら歌うのを見ている。

クラシック番組では、NHKでは清塚信也&鈴木愛理の「クラシックTV」。清塚信也の解説が「目からウロコ。」
ほかに「クラシック音楽館」。この番組では放映されるオーケストラや曲名・指揮者によって、録画して見ることにしている。
テレビ朝日系の石丸幹二の「題名のない音楽会」。番組の構成がとってもユニーク。クラシックの新しい聴き方を教わる気が知る。

テレビで放映される映画は、BSが多いが全て録画して見る。見るのは、当然ながら弾が飛び交ってテキはバタバタ倒れるけれど、何故か我がヒーロには当たらないというドンパチ映画。
かみさんがいる時に、このような映画を見たら「フン」と軽蔑の眼差しになるので、録画してかみさんがいない時に気分爽快ハレバレと心おきなく見る。
でも、吉永小百合さんなど大好きな女優さんが出演する映画が放映される時は、何度でも見る。世間で話題になっている映画も見ることにしている。

放映されるのは昔の映画。私は大金を払って映画館で見ているのに、それがテレビではタダ。「こんな不合理な話はあるか!」と憤慨して、映画館で見た映画はテレビでは見ないことにしている。

ところが問題発生。ズズズーイと若いころは映画のタイトルを見ただけで「映画館で見た」とすぐ分かり、テレビでわざわざ見ることはなかったのである。
しかし、歳を重ねるにつれ、見ていないと思ってテレビをつけて見たところが「映画が始まるすぐに」見た映画だと分かって、たちまちスイッチOF・・・ならいいけれど「映画の途中までいったところで」見た映画だと分り、アホ化気分を味合わされながスイッチOFとなり・・・ならいいとしても「ラストちかくで」見たことが分かり、アッタマにきてスイッチOFとなることが多くなってしまった。

最近になると、許せないのは見た後で「どうも見たような気がする」となってしまい「見たか?見なかったのか?」と、悩み多き人生にどうでもいい悩みを加えるようになってしまった。

人生の残り少ない人生をムダに過ごしてしまい、口惜しいことこの上もない。私、86歳。歳は取りたくないものである。

ちょっと二言、三言

トランプ関税旋風が吹き荒れて、世界はシッチャカメッチャカ大混乱!!!

権威国家と云えば「ロシアに中国、北朝鮮」と思っていたが、中国はこれ幸いとばかり東南アジアやアフリカでアメリカに代わって媚を振りまき、どうも今から権威国家は「ロシアにアメリカ、北朝鮮」となるやかもしれぬ。

ウクライナに侵攻しているロシアの国民の多くは、プーチンの言いなりになって、ウクライナはもともロシアの一部と考えているらしく、国内で大きなブーイングは起きていないらしい。

しかしアメリカはロシアとは違う。世界に冠たる民主主義国家である。アア、それなのにトランプさんの「アメリカファースト」を信じ関税でアメリカを守るとして、大きなブーイングは起きていない。ホント、信じられない。

世界のどこの国も無論「我が国ファースト」である。でも、これは世界の国々を痛みつけての「我が国ファースト」ではない。
アメリカの良識はどこにいったの?

アメリカは中国からの輸入品に対し145%の関税をかけると発表。今まで1,000ドルで売っていた商品代に1,450ドルの税金をかけるということになる。
アメリア国民は商品代1,000ドル+1,450ドル=2,450ドル払えと言うことである。
中国製品は、電子製品から玩具にいたるまでいろいろな分野で売られているというのに、アメリカ国民はどうすればいいの?
どれも買う人はいないから、中国は他の国々で売ることして収入減をカバーすることが出来るが、アメリカ国民は支出増をカバーする収入がある訳ではない。

まあ、いうなれば中国製品には145%の追加消費税が、中国以外の国からの輸入品は取りあえず10%追加消費税がかかるということである。一番損するのはアメリカ国民。反対にプラスになるのはアメリカの財政。

トランプさんは関税をかけることで、外国製品を国内から駆逐し、製造業を復活させるといっている。
しかし、である、もともとアメリカで作っていたが、人件費の安い外国からの輸入品に負け、製造を止めたニガイ歴史がある。

だから政府が作れと云ったって、今更工場を建設し、機械部品は高い関税を付けられた外国製を買い新規に高い賃金で労働者を雇入れで生産を始めても、高い価格の商品にならざるを得ない。
それに、4年後政権が代わり元の関税に戻たら、外国製製品が溢れることになるので、生産を始めるのは躊躇せざるを得ないであろう。

かくして、アメリカで作られた製品が市場に出回るなんて「???」の疑問符付き。アメリカ国民は高いけれど外国製品を買わざるを得なくなる。

トランプさんは、外国の企業がアメリカ国内で生産すれば関税がかからないから、アメリカに工場を作ればいいという。
でも、アメリカの企業が、新規に事業を起こすのをためらっているのに、外国の企業が進出する訳がない。

どうも、関税を高くするのは、アメリカにとってもダメージが多くなるはずである。アメリカに輸出している国は、販路をアメリカ以外に変えることで、カバー出来るかもしれないは、アメリカは製造業が復活する訳でもないし、外国企業がアメリカに進出することもないし、国民の一方損しかならないであろう。

だから、アメリカ国民がブーイングを起こすのは間違いない。各国はアメリカに関税引き下げの交渉をするより、トランプさんが手を挙げるのを待てばよいのである。

まあ、ジタバタしないでアメリカとの我慢くらべをして、最後は「ザマー見やがれ」と喝采したいものである。

とは言え、アメリカに「オンブ・ダッコ」しているわがニッポン国にヨーロッパ諸国や国際機関に対し、アメリカ国民が「もう勘弁してくれ」と云うのも当然かもしれぬ。
ウーン、ここいらで世界は再編成を・・・。

ちょっと一言

目出度く、3月末日に予算案が通過し、ハラハラドキドキの国会の幕を閉じた。

与党は、ヅヅヅーイと長らく国会では過半数を占めていたため、民主主義の原則である多数決を振りかざし、我が意のままに政治を動かしてきたが、初めて少数与党に転落。策略をめぐらさなければ予算案を通すことが出来なくなった。

野党の皆さん、一致団結すれば過半数。待ちに待った「野党が与党」となるチャンスが巡りまわって来たというのに、てんでバラバラ。
野党第一党を目指し「わが党、ここにあり」と「どんぐりの背比べ」。ニッポン国の政治を担おうという気はないらしい。

国民民主党などは現在の103万円の「年収の壁」を178万円に主張。これに同意しなければ予算案に反対すると脅し・・・アッ、失礼、取引をせまってまるでトランプ流。178万円を実行すると6兆円~7兆円の財源が必要となるので、自民党がOKする訳がないのである。

かくして、自民党は予算案を通してもらう代わり、国民民主党より割安となる日本維新の会の「教育無償化」に合意。国民民主党をポイしてしまった。

戦国武将の毛利元就が、3人の息子に伝えた「三本の矢」のたとえがある。一本の矢は折れやすいが、3本束ねると折れにくいというたとえである。
野党がいくらキレイごとを個々に主張しても、スルーされるのがオチで長年権謀術数にたけた自民党に勝つわけがない。

でも、立憲民主党、日本維新の会、国民民主党等の野党が一本化すれば、主張が通るどころか政権も取れるかもしれないのである。
アア、それなのに、わが党の主張が一つでも通ればメデタシめでたしと胸を張ってTHE END。
「井戸中の蛙、大海を知らず」ということであろう。

石破ソーリが、初当選した議員を招いてお土産に10万円の商品券を渡したことがバレて、大チョンボ!!!
石破ソーリは、庶民感覚からズレていると四面楚歌。
でも、石破ソーリは、40年近く議員にドップリつかっているので、ドップリ政治家感覚。庶民感覚からズレているのは当然のことである。
お土産は政治家感覚からいっても1万円が限度かもしれぬが、わがニッポン国で一番エライ人である天下のソーリはナミの議員とは違う。
1万円では恥をかくということで、秘書から「ソーリからのお土産は10万円が通例です」と云われれば、
「ウン、そうか、10万円はソーリ感覚か」とういことで、チョンボの幕が開くことになった。

これって、石破ソーリの悪口を言ってるが「安倍派パーテイ売り上げ、ポケットポイ」が、ウン10年続いて違和感がなかったと同じように、10万円商品券は自民党の体質であろう。体質なんてものは、一朝にして変わるものじゃない。

朝日新聞に3月17日に掲載された世論調査を読むと、石破ソーリの配布問題を受けて首相を辞めるべきかという質問に対し
「その必要はない」が60%、「辞めるべき」が32%とあった。
とはいうものの、石破内閣の支持率は前回の40%から26%にダウン、支持しないは前回44%から59%にアップ。
支持しないけど辞めなくって良いなんて、まるで筋が通らない。

自民党のダメイメージは増えるばかりなので、6月の参議議員選挙でも、自民党は少数与党化するかもしれぬ。すると石破ソーリは責任をとって辞めざるを得ないであろう。

「君主豹変する」のたとえのとおり、石破ソーリの総裁選の時の公約はまったく姿を消してしまった。その内、辞書に「君子豹変する」の凡例として「石橋総理の公約」と記載されるかもしれぬ。かくして自民党の評価は下がるばかり。
そこで、石破ソーリは、このままでいけば6月にはソーリの座をポイされてしまうから、もうヤケクソ。
2001年に当時の小泉総裁が「自民党をブッツ壊す」と豪語して参議院選挙に勝利を収めたように、石破ソーリも「ちゃぶ台返し」を行って、自分の公約を少しでも実行したら、チョピリ汚名挽回できるかもしれぬ。
・・・てなことを、わがニッポン国の石破ファンがはかない夢を抱いて、世論調査で「辞めなくていい」と考えたのに違いない。

でも、自民党の体質改善は出来そうもないし、一本化してニッポン国を担おうという気概に欠ける野党に政治を任せる気にはなれないし、ホント、わがニッポン国の国民は途方に暮れるばかりである。

生まれながらの・・・

今日の「ハードボイルドに恋をして12」は、「生まれながらの」のテーマの最終回です。
昨年の6月15日の夢旅人で「身勝手」を、同じく10月15日の夢旅人に「自分」を掲載していましたが、今日の夢旅人は、「几帳面」に「軽薄」と「優しさ」と「自惚れ」を掲載します。

あなたは、どれに該当しますか?

私の血液型はA型。A型は「几帳面」ということらしいですが、私、「どうでもエー型」。一見「几帳面」だけど、すぐ「マ、いいか」と「几帳面」がすぐ剥げてしまいます。

几帳面

病院からは、坊や刑事のエミール・ランプがセダンの覆面パトカーで送ってくれた。彼同様まっさらでしみひとつない車だ。彼は十時と二時の位置でハンドルをしっかり握りしめ、あらゆる道路標識に目を配っていた。
講談社「笑いながら死んだ男」デイヴィッド・ハンドラー/北沢あかね訳

わたしは本当のことをいった。本当のことを云うのは、私の欠点のひとつだ。
扶桑社「ケープ・ゴッドの罠」ウイリアム・G・ダブリー/島田三郎訳

軽 薄

(妻に死なれて2ケ月しかならないのに、女に悪ふざけするサーマンのことを)
「キャピキャピ、イケイケ、ハデハデ。・・・」
二見書房「倒錯の舞踏」ローレンス・ブロック/田口俊樹訳

(ホテルで)
わたしはVIPのイメージを損なわぬよう、・・・チップの大判振る舞いをした。王子さま向け雑誌から抜け出してきた例のドアマンの若者にも、今度はタクシーを口笛で呼んだだけで5ドルやった。世の中には持てる者と持たざる者はいるのである。
早川書房「バラは密かに香る」リヴィッド・M・ピアス/佐藤耕士訳

要するに二人とも意味がよくわからなかったのだ。
おふくろは、訳知り顔にうなずき・・・いかにも親らしく俺を弁護して言った。
「話の持っていきようで何とでもなるものだからね」
こうした語調が人間の子供を暖かい家庭の庇護から冷ややかで残酷な世界へと押しやる。子供はこうして大人になる。これが自然の摂理だと俺は思った。
扶桑社「最後に笑うのは誰だ」ラリー・パインハート/工藤政司訳

優しさ

(ルームサービスのコーヒーをみんなに注いで配るロニを見て)
私は、ロニは自分の名前の終わりのiの点を小さなハートで書いているのではあるまいか、と考えていた。たぶん、そうしているのだろう。
早川書房「拡がる環」ロバートー・P・パーカー/菊池光訳

ぼくは感謝の気持ちをキスで伝えたいくらいだったが、クローがいやがるだろうと思ってやめにした。クローは心根のやさしい女性だけど、ほとんど誰に対しても腕の長さ分ほどの距離を保っている。彼女のやさしさに対して、人生はいつもやさしさを返してくれたわけじゃないからだ。
早川書房「図書館の親子」ジェフ・アポット/佐藤耕士訳

ジャッキーはひとりではろくなことをしない男だから、夜ごと立ち寄って英知を分け与えるのが私のつとめだ。ジャッキーは聞く耳を持たないが、それにひるも私ではない。
早川書房「狩りの風よ吹け」ステーブ・ハミルトン/越前敏弥訳

自惚れ

(いろいろ仕事を変えたが)
・・・どこでもこんなことを云うやつらに出会った。おれは二十年の経験があるなんて言って自慢するやつだ。二十年の経験なんてのは、一年の経験を二十回しただけのことじゃないのかね、ええ?
早川書房「神なき街の聖歌」トマス・アドコック/田口俊樹訳

「ひどいじゃないか、シェリー・ルー。貧乏人にもプライドってもんがあるんだぞ」
「そんなものないわ。あると思っているだけで、ほんとはないの・・・」
二見書房「ピンク・ウォッカ・ブルース」ニール・バッレト・ジュニア/飛田野裕子訳