感受性ある?

前回の「夢旅人」に書いたばかりだが、退職後に読むつもりで現役時にせっせと買い求めた全書もの12セット(227巻)のなかに、1983年頃から随時発行された「現代の詩人」全12巻がある。

30数年前に詩心など全くない私が、何故「現代の詩人」など買い求めたのかトント分からないが、多分、退職したら穏やかな気分となって詩など読む気分になるだろうと思ったに違いない。

ところが、72歳まで働き続き続け、リタイヤしてからは自治会や老人クラブの役員になってコキ使われ、同時に会員100名を擁する合唱団「北九州をうたう会」の事務局にも引っ張られて、これらの団体からきっぱり足を洗ったのは85歳という散々たる有様。
だから、心穏やかな気分になる暇がないので、この全集をズズズイーと読んでいない。

でも、たまには本棚から1冊を抜き取りパラパラ開いて読むこともある。この全集の11巻はかの有名な「大岡信」。
この詩集に掲載されている詩に、

こゑふるはせてきみはうたった
唇を発つと こゑは素直に風と鳥に化合した

この詩など読んでも、詩心などないからチンプンカンプン。「????」である。

でも、好きな詩人もいる。茨木のり子さんである。彼女が美人だから好きという訳ではない。それは大いなる誤解である。
彼女の詩は凛として歯切れのよい言葉で綴られていることが多い、詩心のない私でもわかる詩である。

今年は彼女の没後20年、生誕100年になる年で、彼女が生まれた西尾市などの多くの街でいろいろイベントが開催され、記念して詩集など出版されているそうである。

ここで、彼女の代表作ともいえる「自分の感受性くらい」を紹介する。

自分の感受性くらい

ばさばさに乾いていゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親せいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

この詩を読んだのは、いつの頃かわからないが、多分雑誌か新聞などの記事を読んでネットなど検索したのだろうと推測するが、「ハッハー 仰せの通り」と頭をさげて読み、最後に
「ばかものよ」と書かれた言葉を読むと、私に向かって𠮟責された気がして、雷に打たれたような衝撃をうけたのである。

私、昨年岩波書店から2014年に出版され再販されてきた文庫本「茨木のり子詩集」を買ったが、彼女が出した11冊の詩集から谷川俊太郎が選別した詩が掲載されている。
この詩集の巻末に小池昌代が書いた「水音たかくー解説に代えて」という文書が掲載されているが、その最初の書き出しは

茨木のり子の詩を読むのに、構えはいらない。そこに差し出された作品を、素手で受け取り、素直に読んでみるに限る

とある。
この文庫本は金800円也。この詩集を読めば茨木のり子さんの雰囲気がチョッピリわかるかもしれない。

ミイハアの私がパラパラ読みした彼女の詩の中でのベスト3は「自分の感受性くらい」に「わたしが一番きれいだったとき」「あほらしい唄」。「茨木のり子詩集」を購入した時は読んで下さいね。

ma

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