チンプンカンだけど・・・

私が最も大好きな歌手は男性は井上陽水、女性では中島みゆき。陽水もみゆきも歌詞が時々吹っ飛んでいるから好き。陽水の「アジアの純真」なんて曲の歌詞は、吹っ飛んでいる曲の最たる曲である。吹っ飛ぶ曲が大好きなせいか、詩でも抒情詩よりチンプンカンな現代詩の方が大好きである。

そういう訳で、中央公論社が1983年に毎月1巻ずつ出版した「現代の詩人」12巻を、リタイヤしたら読もうと思って、セッセと買い込んだものである。ところが、読んだらなんと「?」の連続。
でも、12巻もあったでしょ。最初はサラサラと読んだので気を取り直し、シミジミ読み直したけれど、詩文は、チンプンカンを通り越して、はるか彼方に吹っ飛んでしまった。ウム、残念無念。これからは、大きな顔をして「現代詩が大好き」なんて云わないことにしよう。

「現代の詩人」には、12人の詩人が取り上げられていて、谷川俊太郎や大岡信、吉岡実など、錚々たる詩人が網羅されているけれど、私が好きなのは茨木のり子に石垣りんに吉原幸子。女性の詩人ばかりだけれど、私が男性だから仕方ない。

という訳で、北九州市文学館の主催で第30回特別企画展「詩の水脈」~北九州 詩の100年~が開催され・・・現代詩は「?」だけれど・・・現代詩のファンのはしくれとして、開会式には胸をはずませてかけ参じた次第である。

企画展のテーマは、北九州地域のにおける100年を超える詩の歴史を、それを担った詩人たちとその作品とともに辿り、現代の詩人、詩誌も取り上げ、詩の未来へとつながる活動を紹介しようということで、多くの同人詩の創刊号や詩人の原稿がパネルの説明と共に展示されていた。
他にイベントとしては「講演」や「講座」が6回、他に「北九州同人詩誌から選んだ詩の朗読劇」とリーデング公演『詩×演劇「燃える母」』の2本が11月から12月にかけて、文学館の「交流ひろば」実施されている。

開会式の後、開館記念講話として詩人の岡田哲也さんが「詩の現在と日本語の水脈」の話をされ、それから開催された講演などに片っ端から参加したものの、参加している人は一見「詩人風」でしょ、私、一見「分かったような顔風」をして聞いたけれど、ホント、聞くのも大変である。

小説を題材とする演劇は珍しくもないけれど、詩×演劇として、地元の劇団の俳優有田正太郎さんと寺田剛史さんが演じた宗左近(北九州市生まれ)の詩「燃える母」にはびっくり。詩を文字で読むのと、演じられる詩で見るのとは、納得度が大違い。ウン、詩を演ずるという難しい演出を手がけた有田正太郎って偉い!!!

文学館が主催すると特別企画展では、必ず記念誌が発行されるけれど、今回出版されたB5版で56頁に及ぶ記念誌「詩の水脈~北九州 詩の100年」には、写真や詩をふんだんに掲載して北九州市周辺で大正期から始まった同人誌の変遷が良く分かるように編集されていた。
私、目から鱗。わが街北九州市を再確認した次第である。これらの資料を集め素敵に編集した文学館って凄いですね。大感謝です。

記念誌「詩の水脈」の中で、私が気に入った詩を一つ紹介します。

立秋    鶴岡 高

朝起きに水が新しかった
すてた垣根のそとに
秋がさりげなくたっていた

膳に向ふと
松林のみちをめぐって
いま聞いていた蟲の音が
めしのなかに滲みてゐた

なにか匂うように明るいので
南縁の障子を開けると
山が親しいあしあとで
這入って来た

柴門に草はのび
茎を煮ていると
松籟にせつなくセキレイがしのびよった

※ 鶴岡 高ーー終戦からわずか3カ月後、1945年に同人詩「鵬」を
八幡で創刊。「立秋」はこの同人誌に掲載された。

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