丁度よい

 時のたつのは早いもので・・・ン? 訂正、歳をとるのは早いもので、もうお正月。と、いうことで

あけまして
    おめでとうございます

              
ウーン、今年御年79歳になるいい加減年寄りの私などは、一休和尚さんの

「正月は冥土の旅の一里塚。めでたくもあり、めでたくもなし」ではなくって
「正月は冥土の旅の半里塚。めでたくもなし、うれしくもなし」

の心境と言いたいところだけれど・・・。
私、NHKの「紅白歌合戦」は初めからズズズーイと最後まで見て「ゆく年くる年」の除夜の鐘を聞きながら年越しソバを食べ「年の初めは生でさだまさし」をウフフと笑いながら見て眠り、お正月がくればアルコールダメ人間だけどお屠蘇を1杯飲んで酔っ払い気分になり一見豪華絢爛風食べればフツーのおせち料理を食べ三社詣りに行ってお御籤を引き「金運ナシ」などは信じず「恋愛かなう」などの嬉しいお告げのなどの「いいとこ取り」をし・・・ン? 何?
「アラ、〝恋愛かなう〟なんて、そう八さんは関係ないでしょ」って・・・。そんな、実もふたもないことは言わないでください。とにもかくにも、ニコニコとお正月にドップリつかる始末である。アー、疲れた。
我ながらアホ見たい。
でも、昨年、私が親しくしている友人が突然亡くなって、念仏詩人と言われた木村無相さんが

「元旦や 今日のいのちに 遭う不思議」と詠んでいるとおり、

いつ死んでもいい私が、いまこうしてたまたま生きていることは不思議なことなんだ、凄いことなんだと、しみじみ感じる年齢にもなっているのである。
昨年、寂しさがうずまいて眠れぬ夜を重ねた人や、この世の不条理に心こおらせた人もいると思うけれど、今、生きていることを疎かにせず、不思議なこと、凄いこととなんだと思って今年も生きていきたいものです。

石川県野々市町の常讃寺の坊守・藤場美津路さんが「自己否定の苦悩の中で聞こえた仏様の慈愛の言葉」として「仏様のことば(丁度よい)」という詩を書いて寺報に掲載したところ、いつのまにか良寛さんのが書いた「丁度よい」という詩になって全国に広がりました。
何があっても「丁度よい」と思う心。ウーン、こんな心境になれたらいいのだけれど・・・。

  丁度よい   良寛

お前はお前でちょうどよい。
顔も体も名前も姓も、お前は
それは丁度良い。
貧も富も親も子も息子の
嫁もその孫も、それはお前に丁度
よい。幸も不幸も喜びも
悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は悪くも
なければ良くもない。
お前にとって丁度よい
地獄へいこうと極楽にいこうと
いったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する
要もなく上もなければ下もない
死ぬ月日さえも丁度よい
お前はそれで丁度よい

ウン、後は「やるしきゃない」のですね。

※木村無相ーー明治37年~昭和59年。熊本生まれ。25歳から29歳までフィリッピンで働いた後、四国遍路に出て高野山に上り真言宗の修業をしたものの行き詰まり、真宗を求めて57歳から東本願寺の同朋会館の門衛を務め真宗の聴聞に励まれた。 

このプログの「ご挨拶」の頁の末尾に、私の近況報告を兼ねた今年の年賀状を掲載しておりますので、是非、お読み頂くようお願い申し上げます。

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