Happy Christmas!!!

 あっと言う間に、時は駆け抜けてもう12月15日。
 街はクリスマスに溢れイルミネーションに染まって、流れてくるクリスマスソングを聴くと、何故か、私、いい年をしているけれど心弾む気がする。
 私は、絶対クリスマスソングが大好き!!! パソコンに向かっている時のBGMは、いつもクリスマスソング。
 ニッポンのクリスマスソングは、定番の山下達郎の「クリスマスイブ」をはじめ、「一人っきりのX’mas night」とか「会いたいロンリークリスマス」とか切ない曲が多いけれど、アメリカのクリスマスソングは「Happy Christmas」と、クリスマスを楽しく歌いあげている曲が多いようである。
 陽気なアメリカ人とニッポン人との国民性の違いが如実に現れているのが、クリスマスソングなのかもしれぬ。
  「ジングルベル」をはじめ「ホワイトクリスマス」やジョンレノンの「ハッピイ・クリスマス」とかマライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」など、私はまるっきり英語音痴だから歌詞は分からないけれど、曲を聴いているだけで、「Happy Christmas」とクリスマスへの楽しい期待や喜びを歌っていることが良く分かる。
 そして、クリスマスにはクリスマスプレゼントがつきもの。昔むかし、我が家では子供たちには紙で作った大きな赤い長靴にお菓子を詰め込んで、イブの夜に枕元に置いたものだけれど、ささやかなお金でプレゼントを用意できたのである。
 とこらが、今や時は流れ、クリスマスといえば「クリスマス商戦」と合体化し、冬の一大消費イベントになってしまい、ささやかなお金どころか、大枚のお金を払わなければクリスマスプレゼントが買えない時代になったようである。 
 子供たちには、お菓子変じてゲーム、そして、大人達は、レベルアップして、私などは、アップアップしそうなプレゼントに大化けしているようである。
 銀座のデパート「プランタン銀座」が女性569人に調査した結果を「2010年版 みんなのクリスマス事情」として発表したけれど・・・読んでびっくり!!!
 女性が男性に期待するプレゼント金額は平均43、620円。女性が男性に贈るプレゼント予算額の平均は20,635円。過去最低金額だった前年に比べ、共にアップして、クリスマス位は贅沢をしようと想う女性が増えてきているそうである。
 男性がはたくプレゼントは一金43、000円だって・・・。ウーン、これって九州の片隅に住む私の周辺レベル感覚からいえば、なんだか高すぎる気がするけれど、なんたって調査した所は「プランタン銀座」。きっと、大手企業に勤めるキャリアウーマン風のセレブな女性に聞いたに違いない。
 次に、女性が男性に期待するプレゼントの第1位は食事、2位は指輪、3位はネックレス。反対に女性が男性に贈りたいプレゼントの1位は洋服、2位が手料理、3位はネクタイだそうである。いずれも、前年と同じ回答だそうである。
 まあ、これは常識の範囲だからいいようなものの、かくして、商売上手なお店に踊らされて・・・ン、訂正、愛する人のために懐をはたいて、わがニッポン国の経済に寄与すると共に、二人の愛も深まって、ウーン、素敵な「Happy Christmas」になれば、何も云うことありません。
 そして、玉井清弘の句にあるような、クリスマスイブになりますように・・・。

掌のぬくみ伝うるブランデー飲みほせば君になだるる潮(うしお)みちくる

 クリスマスが終われば、今年もTHE END。家の大掃除を済ませたら、人生の埃が溜まらないように、素敵な思い出だけは心の引き出しにそっと仕舞い込み、イヤな思い出は削除して、心の大掃除をしましょうね。
 そして、また来年も素敵な笑顔でお会いできますように・・・。

 ※ 玉井清弘ーー1940年生まれ。高校教師。「音」所属。歌集「風筝」で芸術選奨新人賞。歌集に「久露」など。

いい夫婦?

 11月22日(月)は『いい夫婦の日』。
 イチャイチャ・ベタネタ・ネチャネチャと・・・ウーン、これってなんだか、ヒンがない言葉みたい・・・ウン、訂正することにして、ラブラブ度いっぱいの日を送りましたか?
 なーんて云っても、ラブラブ卒業の夫婦は
「フン!」と、云って横を向く人が多いに違いない。
 朝日新聞に『夫婦の寝室は別ですか』というアンケートを、夫や妻のパートナーがいるbeモニター4319人にした結果が載っていたが、同じ寝室が64%、違う寝室が36%だそうで、50代・60代になると約半数以上が別寝室らしい。
 別寝室を始めた時期は、20代から30代というのが50%を占めていたから、別寝室はセックスレスとかラブラブ度がダウンしたからというのでなく、
 「寝る時間が自由」とか
 「熟睡できる」とか
 「寝返りが自由」という物理的理由が半数を占めているようである。
 だから『夫婦別寝室』は、理解できない訳ではないと思っていたけれど
 「とんでもハップン、女性はコワイ」ということが判明したのである。
 と、云うのは、エアコン大手のダイキン工業が結婚して20年以上の男女に「二人で過ごす時の心理的な体感温度」を聞いた結果が出ていた。
 すると、妻の4割が
 「一緒にいると体感温度が下がることが多い」と答え、夫の方はたったの2割。
 妻の体感温度が下がる理由としては、
 「自分の自由時間が減る」
 「嫌な面が目に付く」
 「ストレスがたまる」などで、まあ要するに
 「亭主元気で留守がいい」の大原則が、大手を振ってまかり通っているみたいである。
 でも、女性は健気である。
 「亭主元気で家にいる」という異常事象が発生じても、賢明なる女性は、
 「夫は同居人」とか
 「亭主はパトロン」とか
 「いつも心にさよならを」と、内なる心を隠して、
 「亭主元気で独りぼっち」にして、勝手気侭に自分の楽しみを見出しているとのことである。
 でも、私は男性。そんなオソロシイことなど云はないで、せめて、

夫婦って プラスマイナス ゼロでいい   ※

 位の寛大な心で、接してもらいたいものである。ネ、お願い!!!
 
※ 平成22年度「いい夫婦 川柳コンテスト」 ひ~・ピツの母入選作

まっさらの頁

 秋。秋真っ只中。黄昏時の人生を迎えている私にとって、ピッタリの秋。

 物言えば唇寒しの秋。一日千秋の思いの秋。秋茄子は嫁に食わすなの秋。男心と秋の・・・・ン? 訂正、女心と秋の空の秋。一葉落ちて天下の秋の知るの秋。
 ね、さびしい句ばかりでしょ、だから秋は黄昏の季節。
 そう、そして、春に恋して夏に燃え秋に恋を失う・・・ウン、枯葉散る失恋の秋。
 だけど、恋を失うってことは、恋をしたってことだから、とっくの昔に賞味期限が切れ、恋あこがれ症候群にかかっている私からみれば、羨ましい次第である。
 惚れっぽくて振られっぽい私は、春に恋して夏に燃え秋に恋を失っても平気だったけれど、心寂しい秋を迎え、眠れぬ夜を重ねている人もいるに違いありません。
 でも、ままならぬのが人生と心に折り合いをつけ、悲しみを封印しこれからの時間を大切にしていけば・・・ウン、過ぎた日は戻らないけれど、きっと、ときめきを抱きしめる時がくるに違いありません。

これから     川崎 洋

これまでに
悩んでも悩みきれない傷あとを
いくつか しるしてしまった
もう どうにもならない
だが  
これから
どうにかできる 書きこみのない
まっさらの頁があるのだ
と思おう
それに
きょうこの日から
いっさいがっさい なにもかも
新しくはじめて
なにわるいことがある

 ※ 川崎洋ーー1930年生まれ。1980年出版の詩集「植物小屋」より掲載。詩集「ビスケットの空カン」で第17回高見順賞を受賞。他に放送作家として芸術奨励文部大臣賞なども受賞している。

さようなら 河野裕子さん

 歌人の河野裕子さんが8月に亡くなった。64歳。早すぎる死である。まだまだ生きていて欲しかった歌人でもある。
 私は、2005年12月15日のプログ「悲しき濡れ落ち葉」に、彼女の歌を引用したことがる。

たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか

 鮮烈なこの歌に出会った時、私はタジタジとなったけれど、こんなに爽やかな啖呵を切られたら、ウンウンと云いそうな気もする。 
 この歌は、1972年に出版された彼女の処女歌集『森のように獣のように』に掲載された歌である。
 この歌集のあとがきに『これは私の青春の証である。他にも生き方があったのではなく、このようにしか生きられなかったのである。悔いだらけの青春ではあるけれども、もういちど生まれて来ても、今日まで生きて来たのと同じ青春を選び取ろう』とあるように、迷うことなく、心のままに歌を詠んできた彼女は、恋の歌人としても有名だが、この歌から感じられるように強い人でもある。
 「勁い人」と評した人がいたけれど

わたしはまつ直に立って此処にゐる風がなくてもそよいだりして

 と、あるように風にそよぐ鋭い感性の持ち主でもあったと思う。もう、彼女の新しい歌を読むことも出来なくなったが、ここで彼女が詠んだ青春と恋の歌を紹介して、彼女を偲ぶことにする。

ブラウスの中まで明るき初夏の日にけぶれるごときわが乳房あり

逆立ちしておまえがおれを眺めてた たった一度きりのあの夏のこと

透明を重ねゆくごとき愛にして汝は愛されることしか知らぬ

夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴きし日の君が血のおと

炎ゆる髪なびかせ万緑に駆けゆきし青春まぎれなくま裸なりき

青林檎与えしことを唯一の積極として別れ来にけり

吾が為に薔薇盗人せし君を少年のごとしと見上げてゐたり

わが頬を打ちたるのちにわらわらと泣きたきごとき表情をせり

振りむけばなくなりそうな追憶の ゆふやみに咲くいちめんの菜の花

さやうなら きれいな言葉だ雨の間のヒメシバの茎を風が梳きゆく

 ※ 河野裕子ーーー1946年生まれ。京都女子大学在学中に第15回角川短歌賞受賞。「塔」会員。歌集「ひるがほ」「桜森」「体力」「葦舟」等多数。

ソレイユホールに乾杯!!!

 わが街・北九州市には2000人を収容する「九州厚生年金会館」というホール&ホテルがあり、新宿の厚生年金会館と同じように処分リストに挙がっていたのだけれど、このたび「北九州ソレイヤルホール」として見事に蘇り、10月1日リニューアルオ-プンした。
 1984年に設立されたこの「九州厚生年金会館」には、市民・企業の募金により2億円をかけて西日本最大規模を誇るドイツ製のパイプオルガンが設置されていたのである。
 それが「全国の厚生年金会館は一蓮托生、全部売っ払え!」と、なったものだから、なけなしのお金を寄付したわが街・北九州市民は怒り心頭、猛烈強烈なブーイングが発生してしまった。
 たちまち「パイプオルガンの存続を目指す市民活動の実行委員会」が結成され、私の所属する合唱団「北九州をうたう会」も実行委員会の加わり、署名運動を開始し40万人を超える署名が集まったのである。
 その結果、存続が決定して北九州市が取得、管理運営は「SSBK共同企業体」、ホール部分は「㈱ケイミックス」が担当することが決まり、今年の4月より3200本もあるパイプオルガンをオーバーホールすると共に、ホールをリニューアルしたのものである。

 10月1日に「オープニング式典&祝典コンサート」が開かれることなり、私たちの「北九州をうたう会」も祝典コンサートに出演することになった。
 それで、暑さ真っ只中の8月に、リニューアル工事でごった返している開設準備室に打ち合わせに行ったところ、オープニングスタッフの女性から「Maki Kurazono」というお洒落な名刺を貰った。一見ペンで書かれた自筆のロゴのように見える。
 私は、もともと営業畑の人間だから数多くの名刺を貰ってきているけれど、こんな素敵な字体で書かれた名刺を貰ったのは初めてである。
 昔むかし、私が若かったころ手紙はみんな手書き。何故か知らねど私は綺麗な字を書く女性にヨワく、おまけに顔も綺麗な女性にヨワく、かてて加えてボインボインの女性にヨワく、さらに加えてうなじの綺麗な・・・エート、以下エンエンと続くけれど紙面の都合により略・・・という性向がある。
 だから、センス溢れる名刺のロゴを見て、おまけに綺麗な人に出会って、かてて加えてボ・・・ウーン、わたしの心はたちまちタイムスリップ。
 私も、現役時代にささやかだけれど、幾つかのイベントを立ち上げた経験がある。だけど、こうゆうビッグなステージのオープニングセレモニーをマネージメントするなんて、私から見ると想像を絶する出来事である。
 これからオープンにかけて「アアでもないけど、コウでもない」ということが続出して、彼女はてんてこ舞いになるに違いないし、私も盛り沢山のヤボ用を抱えているので、今後の打ち合わせは、お互い空いてる時間にメールでやりとりしましょうということになった。
 ホントのこと云うと、私は直接お会いして、じっつくりとしっとりと話し合いたいとも思ったけれど、とかくこの世はままならぬ。人生あきらめが肝心である。
 ところが凄い。彼女からくるメールは早い時間帯でPm10時、遅い時はなんとAm2時である。Am2時といえば、私、誰かさんの夢を見ている時間である。
 ウーン、これぞキャリアウーマンの鑑!!!

 祝典コンサートには、「響ホール室内合奏団&尺八の山崎箜山」・「北九州シティオペラ」に私たち「北九州をうたう会」の地元3団体が出演。
 前日のリハーサル、本番の詳細も決まって「北九州をうたう会」はコンサートのトリとなり、團伊玖磨作曲の合唱組曲「北九州」の中から最後の3章を、総勢125名で歌うこととなった。
 「父祖より幼き者へ」・「梅開く」・「終章」である。そして最後に歌う「終章」には、出演する2団体のメンバーも全員ステージに上がって一緒に歌い、コンサートのラストを盛り上げることになった。
 「北九州シティオペラ」のメンバーはオペラの舞台衣装のままに登壇したものだから、ステージは豪華絢爛、歌声も豪華絢爛に響き渡って、オープニングコンサートは豪華絢爛に幕を閉じた次第である。
 エ、何? 「そう八さんの合唱団・ジジババ合唱団と聞いているけれど、オペラの人が加わったから、豪華絢爛になったのじゃないの」・・・て。
 フン!!!だ。わが街・北九州を愛する人たちの心を込めた歌声と、オペラの人たち歌声が二乗、三乗にハモった結果の豪華絢爛なんデス。
 ホント、聴いてもらいたかったよ。
 巷に「官から民へ」とかしましく云われているけれど、「官の厚生年金会館」から、「民のソレイユホール」へ。そして、お役人の館長から、博多の博多座の総支配人だった小坂弘治さんに代わって装いも新たに再出発。
 そして、オープニングイベントの内容や今から開催されるプログラムを見ると、今まで「音楽の殿堂」として威厳を持ってそそり立っていたホールが、「市民のための開かれたホール」に華麗な変身を遂げるような予感がする。
 そして、ソレイユホールに人が集い、笑顔に満ちたときめき溢れる場になれば・・・ かって「工業都市」と謳われ「文化果つる都市」と云われていた我が街・北九州市も「文化を発信する都市」となるに違いないのである。