形のない贈り物を あの人に

 街は すっかりクリスマスを装って光に彩られ、流れてくるクリスマスソングを聴くと、心ときめいて、すっかりオジさんだけど、気分はドキドキ。
 我が家は仏壇があって浄土真宗ということになっているが、お正月の三社参りにはお寺と神社に行って「あれもこれも全部願いが叶いますように。その割りにお賽銭は少ないけど勘弁してください」と盛大にお願いをする。
 情け深い神様や仏様のことだから「八方美人的にあちらこちらで頼みごとしたって叶う訳がないだろう」なんてケチなことは思わないに違いない、そう思ってお祈りをする。
 そんな訳だから、クリスマスも大好きである。仏様や神様にはご遠慮いただき「メリークリスマス」といいながら大好きなケーキをぱくぱく。これだから、クリスマスはやめられない。
 クリスマスにちなんだ映画はいろいろあるけれど、私のお気に入りは1994年のアメリカ映画「34丁目の奇跡」。
 この映画はクリスマスが近づくとよくTVで放映されるが、「サンタは存在するんだ!!!」という心あたたまる映画である。
 この映画は、ニューヨークの34丁目にあるデパートで、サンタに扮して子供たちの人気者となったお爺さんが「実は、わしは本物のサンタじゃよ」と言い始めたことから起きる騒動を描いたものである。そして、「本物のサンタがいるなんて信じられない」と云う大人たちに、このサンタと称するお爺さんは「信じる心を失ったら、疑うだけの人生になってしまう」と話す。
 人は大人になると「ウン サンタはいるよ。デパートに行けば会えるよ」と、はなはだミもフタもない言い方をする。
 そりゃあ、サンタはデパートにもいるけれど、幼いころ、みんなの心の中にもいたのである。ただ、大人になって、それを忘れてしまっているだけである。幼いころ、サンタがいると信じた心を取り戻すことが出来たらと思う。それが出来なくても、この映画のように、せめてサンタはいると信じる心を持ちたいと思う。それが出来たら、人の心は、この時代、こんなにも壊れることはなかったのではないかという気がする。
 哀しく切なくてつらい出来事が多かった年だけど サンタのように、人に「優しさ」をプレゼント出来たら最高である。物があふれている時代だからこそ、高価な品物より形のない贈り物‥‥そう、あなたの優しさの方が価値のある贈り物にるという気がする。優しさという形のない贈り物、ウーン、これってタダ!!!
 5月から始まったこのコラム、読んでいただいてありがとうございます。今年、いろいろなことがあなたにも起こったとは思いますが、イヤなことはゴミ箱ポイして、云われて嬉しかったこと、心ときめいたこと、幸せ感じたことなど、心のアルバムに張って大切にしまっておいてください。
 それでは、よいお年を!!

ま、いいか。

 もう12月。
「もういくつ寝るとお正月」と歌った幼い頃は、時がたつのが遅くってじれったい思いをしたものであるが、年をとるとアレヨアレヨとばかり時が駆け抜けて
「エーッ もう12月!!!」となってしまう。
 人生の持ち時間の大半を使い切ってしまった私などは、過ぎ去った時間より、残された時間の方が大切なのはよくわかっているけれど、
「今日がなければ明日があるさ」と、ノホホンとグウタラと一日を送り、またたくまに時を積み重ねてしまう。
 一日生きたということは、一日死に近づいたということだから、本当は
「明日のために今日がある」と、もっと、大事に一日を送らなくちゃあならないのである。
 てなエラソウなことを言っても、とかくこの世はままならぬ。好むと好まざるとにかかわらず仕事はしなくちゃならないし、今、NHKのBS放送でやっているゴジラ映画のシリーズは見なくちゃあならないし、読みかけの歌野晶牛のミステリィ「葉桜の季節に君を想うということ」がどう展開していくかも気になるし、映画「ハウルの動く城」も公開されたし、タウン誌の「安くておいしい鍋特集」など読んで、忘年会はどこに行こうかと悩まなければならないし、ホント、どうでもいいことで忙しい。有意義なことなど、これっぽちもする暇などないのである。
 だけど、まあ、アタフタと一日精一杯生きて、小さな幸せを一つでも見つけることが出来たら、それはそれでいいのではないかという気もする。
 つらく切ないことばかり多いけど、
「小さな幸せ見つけた!!!」そう思える日を少しでも持てたら‥‥と、そう思う。

Oh My God!!!

 今年、この星のあちこちで、雨は異常に多すぎ、夏は異常に暑すぎ、台風は異常に多すぎ、おまけに日本では大地震。
 ウーン この星は早くも末期的症状を示しているに違いない。 
 私は映画大好き人間で、それもSFっぽい映画、それも宇宙が舞台の映画が大好きである。だから、宇宙人がこの星を侵略しに来る映画とか、隕石が落ちてこの星が滅びそうになる映画がくると、心ときめかし映画館に出かける。そして、この星が滅茶苦茶になるのをハラドキしながら見て、「ヤッター」と大満足して映画館を後にする訳である。
 だから、「ゴジラ」の大ファンでもある。なんたって本物そっくりのゴジラが、ドカーンバカーンと国会議事堂や東京タワーなどをぶっ壊すのを見ると
「快感!!!」と叫びたくなる。などと言うと
「お前、SMじゃないのか」なんて言われそうだが、ホント、気分がいい。
 今年見た映画で「デイ・アフタートゥモロー」というのがある。温暖化による異常気象で、この星が水浸しとなり氷河期に向かうという映画である。
 ニューヨークをはじめ北半球の大都市が水没するシーンは、SFXの技術でこれまた本物そっくり。
「スゲー!!!」を連発しながら見たものである。
 でも、これは映画だから
「スゲー!!!」ですんだのだが、なんだか今年の気候を見ていると「本物そっくり」が「本物」になるのじゃないかという気がしてならない。
 私は、SFファンだから、はるか宇宙の彼方のナンジャモンジャ星雲にチチンプイプイ星人がいると信じている。誰も『いない』と立証した人はいないのだから、『いる』に違いないのである。
 そして、この心優しいチチンプイプイ星人は、この星をバカデカ望遠鏡で見ながら
「どうもこの星には、いっぱい生物が生息しているけれど、どうもヒト科の生物はあまり賢くなさそうだ。同じ種族でありながら、殺し合いはするし自然は破壊するし、やりたい放題。それに、この星の温度を上げると滅亡するというのが分かっておりながら、ノホホンとしている。ヒト科の生物が滅びるのは自業自得だけど、それ以外の生物が可哀想だから、この貴重な星が滅亡してしまう前に、ヒト科の生物だけ排除することにしよう」などと言いながら、いそいそと空飛ぶ円盤に乗り込む準備をしているに違いないのである。
 ウーン。これは大変!!! こうなりゃ、ダテの薄着はやめて厚着をし、暖房の温度を下げてヒト科の生物ここにありと、チチンプイプイ星人を見返してやることにしよう。

枯葉散る秋に

 秋である。秋は、なんたって忙しい。
 食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋、芸術の秋。秋はいろいろやることが多い。
 まず食欲の秋。パクパク食べた途端、お腹の出っ張りをみてたちまち反省。食べすぎ是正のウオーキングと意気込んだものの恒例の三日坊主。スポーツだめなら読書でもとベットで本を開いた途端、睡眠薬代わりでスヤスヤ。かくなる上はコンサートと気取って行ったのはいいが、鼾をかいて顰蹙を撒き散らす始末。
 ホント、秋は忙しい。おまけに秋は、「女心と秋の空」の秋でもあり、「秋深し隣は何をする人ぞ」の秋でもあり、「天高く馬肥える秋」の秋でもある。
 だから、彼女から「ああでもないけど、こうでもない」と言われて悩み、隣の美人の奥さんはいつもダンナを置いて着飾ってどこに行くのだろうと悩み、「天高く馬肥える秋」でなく、どうして「天高くブタ肥える秋」ではいけないのかと悩まなくちゃならない。
 このように秋は悩み多き季節、そう失恋の秋でもある。
 春に恋に目覚め、夏に恋に燃え、秋に失恋する。華やかな春に失恋は似合わないし、ホットな夏は激しい恋が似合う。だから、失恋ははらはらと枯葉散る秋でなくちゃあいけない。
 俵万智さんの歌に

八枚の花びらを持つコスモスの いつでも「きらい」で終わる占い

というのがある。コスモスの花びらは8枚。だから「好き」から始めれば必ず「きらい」で終わるのは分かっている。でも 何故か「好き」から始める少女の切ない心。
 一方的な恋をコスモスの花占いに託したこの句は、少女にとっては、ほのかな感傷を感じさせる失恋も、また憧れなのであろう。
 秋。秋にふさわしく、あなたも失恋してみませんか。エ? 恋をしていないのに、どうやって失恋するのって? ウーン そんなこと言われてもねえ‥‥。