戦いすんで日が暮れて

 選挙が終わった。暑い中熱い戦いになったみたいで、ホントご苦労様である。私も投票はしたが、ただし、期日前投票である。今までは不在投票といっていたのが名前を変えたらしい。なんとなく不在投票というと、なにか「大事な投票日に不在してスミマセン」という感じがあったのが、期日前投票というと「棄権なんかしないで先に投票します。エライデショ」という感じがあってなかなかよろしい。お役所にしては上出来である。
 投票所に行くと受付の机が2つあって、お役人顔のおじさんと可愛い顔の娘さんがそれぞれ座っている。勿論、可愛い娘さんの所に行く。そこで、名前と住所、生年月日を記入したら「旅行に行かれるのですか」と、にっこり笑いながら聞かれる。
 これが、しかっめつらしくお役人顔で切り口上で聞かれると
 「フン、どこに行こうと勝手でしょ」と言うところであるが、なにしろニッコリ美人である。「そうです」と答えてしまう。何処に何の用で行くのかと、詮索しないところがよろしい。不倫旅行で温泉に行く予定の人などは、大いに助かるに違いない。
 次に「チェクしますから」と言われる。私がニセ者でないか調べるらしい。本人が本人ですと言っているのだから、なにもチェックなどしなくてよかろうと思うが、「私は絶対にウソはつきません」とウソを言う人がいる位だから、止むを得ないのであろう。
 何を聞かれるのかと、取調官を前にした被告人風の気分になって次の机に行くと、取調官風のおじさんはパソコンをパチパチ叩き、何も聞くこともなく「どうぞ」と行って投票用紙をくれた。なにも悪いことはしていないのに、何故かホット安心。たちまち被告人風気分から有権者風気分に変わり、エラそうな顔をして投票用紙を受け取り、かくして無事投票をすませる。
 これが、投票日に投票所に行くと、そう簡単にはいかぬ。町内のオエライさんが、立会人としてずらりと座って私の方をジロジロ見る。気の弱い私は、投票用紙に書いている時も後ろに視線を感じて、町内ご推薦の「宇讃 九佐位」氏に投票したか監視されているような気がしてならぬ。クーラーなどない体育館なので、汗にヒヤ汗も加わって、身も心も汗ビッショリである。それから見ると、クーラーにきいた区役所でする期日前投票は、汗などかかず爽やかにアッケラカンと投票が出来てまことに都合がいい。
 ウーン 今からは投票日には用事を作って、期日前投票に行くことにしよう。エッ、それって悪用? ア そうか訂正、投票日に用事を作るのではなく、ホント、心ならずもやむを得ない用事が出来たので、仕方なく期日前投票に行くことにしよう。これならいいでしょ!!! 

夏の予感

 もうすぐ夏。恋人がいる人もいない人も、なにかしら、いいことありそうな気がするする季節である。
 特にラブラブ真っ盛りの人は、きっと
「ああしてこうしてああなって、まずはめでたくウヒヒヒ!!!」ーーン? これってなんとなくゲヒン、では訂正、「めでたくウフフフ!!!」と心ひそかに期待しているにちがいないのである。
 そして、街では恋が実らなかった人も、海や山に行けば、心弾み、ひよっとしてひよっとするような出来事に出逢うかもしれないのである。
 自然の中に入れば、人も自然に戻る。街では、建前社会の中で、人は身も心も装いそして競い合って、自分をさらけ出すことはない。
 しかし、自然の懐に入れば、人は裸になる。エッ そんなに簡単に水着を脱がないって? ウーン これって身体ではなくて心が裸になるって意味デスけどーー。
 だから、海や山では、心のガードが低くなり、多くの出会いが生まれてくるのである。でも、その出会いが何かを失うだけに終わらないように、心のガードは低くなっていても、相手を見る心の目線は高くしておきたいものである。
 そして、夏にチャレンジ!!! 心はずむ出会いを求めて海や山に出かけよう。
 素敵な夏の予感 していますか? 

雨に涙しても

 6月、梅雨の真っ盛り。雨に濡れた樹木の緑が鮮やかに映えて、心も洗われるような気がする季節である。
 そして 6月はジューンブライド。しかし、ハッピイウエデイングをする人の影にかくれて、雨に涙する人もいるはずである。そう、6月は失恋の季節でもある。
 でも、よく考えてみると、恋に破れたということは恋をした証拠である。
 恋愛あこがれ症候群の人達からみると、
「なんとうらやましい。失恋してもいいから、一生に一度の恋をしてみたい」ということになるにちがいないのである。
 恋をして心の優しさを知り、恋を失って心の痛みを知る。しかし、心の痛みを知ってこそはじめて、本当の意味での心の優しさが分かるのである。恋を知り恋を失い、そして人は大人になっていくのである。
 それに優しさだけでは生きてはいけないし、痛みだけで生きていくのは悲しすぎる。だから、
「にくいあんちくしょう」と思うより、
「素敵な想い出をありがとう」と思う方が「恋の正しいエンドマークの打ち方」となるはずである。そして、それがあなたを心ゆたかな人にするにちがいないし、心ゆたかな人こそ、また夢を実現することができるのである。
「エ? なに? それなら、失恋するために恋をしようってーー」
 ウーン、そういうことではないんだけどなアーー。

誰かが誰かに恋をして

 6月はジューンブライド。街のあちこちでウエデングベルがキンコンカンと鳴り響き、しあわせマーチがピッカピッカに輝いて幸せあふれる季節となる。
 恋にはそれぞれのストーリイがあって、そのハッピイエンドが結婚となる訳であるが、映画やTVではこのエンドマークで終わりをつげてしまう。しかし、人生というストーリイの第2章はこれから開くのである。
 しかし、よく考えてみると、星の数ほどいる男女の中で、
「このひと!!」という相手にめぐり合うのは至難の業である。3億円の宝クジに当たるより難しいといっていいのかもしれない。それにラブストーリイ進行中であれば《あばたもエクボ》となるが、エンドマーク後とならば《エクボもあばた》となってしまい、今「このひと!!」が将来「あんなひと!!」になりかねないのである。
 だけど、将来にわたって「このひと!!」的相手になるかどうかは、今は分からない。だから、ミステリイ作家ディック・ロクティが《眠れる犬》の中で

おれは結婚したことがある。1度ならず3度まで。1回目は若き日の過ち。2度目は中年の好奇心のためだ。3度目は――そう、3度目はいわば老年期の愚行で、おれは貴重な人生のうちの10年を奪われ、貴重な経験をえた

と、書いているようなことが起こるかもしれないのである。
 だけど、それが人生というものであろう。「絶対ガチガチ本命このひと!!」的相手に巡り合うなんてことは、ハレークインの世界にしかないと思えば、
「ウーンまあまあこのひと!」的相手であっても素敵と思って結婚し、人生賭けてみることである。
 そう、結婚はラブストーリイのエンドマークではなく、人生のクラン・クインなのだから。

素敵な出会いを

 時は春。何かしら心ときめく季節。そして、また春は別れと出会いが交差する季節でもある。青春真っ只中での別れと出会いはそれぞれの心に多くの想いを刻み込み、そして、大人になっていくものであるが、出会いがあれば、必ず別れというものが訪れる。
 どんなにハッピイエンドの恋をして、ときめきのウエディングベルで結婚し、「隣の芝生と奥さんは綺麗に見える」とか「亭主は元気で留守がいい」なんてことはチラとも考えず、ラブラブな結婚生活を送ったとしても、さだまさしが「関白宣言」で

例えばわずか1日でもいい
俺より早く逝ってはいけない

と歌ったように、必ず別れというものはある。
 だから、別れは避けられないものだが問題は、出会いの方である。
 会った瞬間「アッツ!!!」と分かるようなハッピイな出会いは、ドラマの世界の出来事で、現実には、その出会いがどういう結果をもたらすことになるのか、少しも分からない。
 それで、何かに出会っても、それが自分にとって大切なことになるとは気がつかず見過ごしてしまうことが多いような気がする。
 だから、出会いをハッピイなものにするには、「エッツ?」と思えるような疑問符付の出会いでも、その出会いを大切にする心を持つことが大切ではないかと思われる。すると、その心が相手に伝わり、かくして「アッツ!!!」という出会いに変わるかもしれない。
 ハッピイな出会いというものは、偶然でもなく運命的なものでもない。自分で掴み取るものである。
 時は春。出会いの季節である。胸を張って春を奏でる街に出よう。そして、このホームページを見たあなた。この出会いを大切に!!!
 また、お会いしましょう。