あの日の授業

 今日は9月15日。安保関連法案の可決を巡って、国会ではテンヤワンヤ&シチャカメチャカの大騒ぎ真っ最中。
 でも、いくら反対と云ったって民主主義のルールに則れば、ケンケンゴウゴウと目出度く可決されるんでしょうけれど、私達が選んだおエライさんが決めるんですから、口を開けてアレヨアレヨと見ているほかに道はありません。
 エ? 何? 「そんなことをするとは思わなかったの」だって・・・。
 ウーン、残念!!! と、今更悔やんでも仕方ありません。天に向かって唾を吐くようなものですからね。

 憲法が施行されたのが昭和22年、その年に文部省が「新しい憲法のはなし」という教科書を作り、昭和52年まで使われたそうです。
 戦後間もないころ小学生だったフォークシンガーの笠木透は、この教科書を涙ぐみながら読んで下さった先生のことを思い出し、中東湾岸戦争の折、PKOで自衛隊の海外派兵が決まった時に、「あの日の授業~新しい憲法のはなし~」という歌詞を書き、仲間だった安川誠が曲をつけました。

あの日の授業~新しい憲法のはなし~
作詞  笠木透 : 作曲  安川誠

1 あの日の先生は 輝いて見えた
  大きな声で 教科書を 読んで下さった
  ほとんど何も わからなかったけれど
  心に刻まれた あの日の授業

(語り)
そこで今度の憲法では、日本の国が二度と戦争をしないように二つのことを決めました。
そのひとつは、兵隊も軍隊も飛行機もおよそ戦争をするためのものは、いっさい持たないとゆうことです。これからさき日本には陸軍も海軍も空軍もないのです。それを戦力の放棄というのです。「放棄」とは、「すててしまう」ということです。
しかし、みなさんはけっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことをほかの国より先に行ったのです。世の中に正しいことぐらい強いものはありません。

2 あの日の先生は 熱っぽかった
  これだけは 決して 忘れてはいかんぞ
  あわをふいて ほえたり 叫んだり
  心に刻まれた あの日の授業

(語り)
もう一つは、よその国との争いごとがおこったとき、けっして戦争によって相手をまかして、自分の言い分を通そうとしない、ということを決めたのです。穏やかに相談して決まりをつけようということです。なぜならば、いくさをしかけるということは、結局、自分の国を滅ぼすようなはめになるからです。
また、戦争とまではゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことに決めたのです。これを戦争の放棄というのです。そうして、よその国となかよくして、世界中の国がよい友だちになってくれるようにすれば、日本の国はさかえていゆけるのです。

3 あの日の先生は 涙ぐんでいた
  教え子を 戦場へ 送ってしまった
  自らをせめて おられたのだろう
  今ごろ分かった あの日の授業

4 あの日の先生は 輝いて見えた
  大きな声で 教科書を 読んでくださった
  ほとんど何も 分からなかったけれど
  心に刻まれた あの日の授業 

 今、国会でアアでもないけれどコウでもないと口角泡を飛ばしているおエライ先生達も、きっと新しい憲法の授業を受けたと思うけれど・・・ウーン「初心忘れるべからず」ではなく「初心忘れるべし」ですね、きっと・・・。

 ※ 笠木透&安川誠――フォークソングシンガー(1937年~2014年)。1996年に日本初のフォークジャンボリーを企画。平和・自然・人権・暮らし等をテーマーに「私の子どもたちへ」など約900曲作って演奏活動を展開した。フォークシンガーを集めて「雑花塾」を主宰し「あの日の授業」を作曲した安川誠(2012年死去)は、このメンバーの一人。 

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