悲しき濡れ落ち葉

 落ち葉の季節となった。

日影さし時雨れきにけりくれなゐの極まる楓散りてやまなく

と、千代國一が詠んだ歌のように、木漏れ日があたり、時雨に舞い散るくれないの紅葉は、華麗に見えるけれど、なぜか寂しく切なさが胸に染みるようでもある。
 と、格好よく言うのは良いけれど、ホント言うと、髪の毛うっすらハゲ模様の私としては、優雅な気持ちに浸る前に、つい「濡れ落ち葉」の方を連想してしまう。
 言いたくはないが「濡れ落ち葉」とは
「定年退職の夫や、出かけようとする妻の後をついて歩いて離れない夫」のことを言うそうである。まあ、「粗大ゴミ」と言われるより、「マ いいか」という気がするけれど、
小樽の久木俊彦さんが詠んだ川柳

妻の手で 払いのけられ 濡れ落ち葉

を読むと、ついわが身につまされてしまう。
 春の花が散るのと違って、落葉樹は五輪真弓の「恋人よ」のように、失恋や片思いに似合う。だけど、

たとえば君 ガサット落ち葉すくふように私をさらって行ってくれぬか

河野 裕子

と言うような歌もある。
 この落ち葉は、舞い散る枯葉とちがって、重い枯葉にちがいない。だから
「あなた 私をさらって行く勇気ある?」と、問われてタジタジとなる男性が目に見えてくるようである。
 ウーン、女性は強い。これじゃあ、男性が、濡れ落ち葉的存在になっても仕方ないよね。

※千代國一 1916年生まれ。「国民文学」責任者。歌集「鳥が棲む木」など。
  河野裕子 1946年生まれ。歌詩「塔」選者。歌集に「歩く」「庭」など12冊。

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