逝く夏の‥‥

 アツクって、あつくって、暑い「ながーーーーい夏」が終わった。
 今年の夏は、9月になってもまるで「夏気分」。若い人は、渡辺美里が「夏が来た!」で歌ったように

本当の夏が来た 生きている眩しさ
本当の夏が来た まっすぐな目をした君がいる

と、夏を謳歌できて「素敵気分」だろうけれど、髪の毛うっすらハゲ模様年齢となっている私などは、ホント「ウンザリ気分」
 私にとっては、鮮やかにきらめいて心はずませた夏は、遥かな遠い日となってしまった。
 それに、今年の夏は、暑いばかりではなく、この地球のあちこちで、
「こんな被害に合うなんて、生まれて初めて‥‥」とお年寄りが嘆くような大雨や台風の災害が続出。世界に敵なしと、エラそうな顔をしていたアメリカさえも、ハリケーンに敵前上陸されてもろくも敗戦。世界に恥をさらしてしまった。
 1935年に亡くなった物理学者で随筆家でもあった寺田寅彦は、「天災は忘れられたころにやってくる」と言ったけれど、最近は「天災はひっきりなしにやってくる」という感じである。どうも、地球は怒かり狂っているらしい。
 でも、それも分からぬことではない。と、言うのは、寺田寅彦は、こうも言っているのである。

 文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。こうして、あっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻を破った猛獣のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を滅ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると言っても不当でないはずである。災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやがうえにも災害を大きくするように努力しているのは誰であろう文明人そのものなのである。

と。
 この文章は、1934年に発行された「寺田寅彦随筆集第5巻」から抜粋したものであるが、今から約70年も前に書かれたものである。
 それから70年、人間はカシコクなったのか、アホになりつつあるのか分からぬが、ここらで中休みして、アタマを冷やした方がいいのかもしれない。

 そこで、私の高校時代の友人で、2003年5月に早すぎる死を迎えた歌人安光隆子さんが詠んだ一首を、紹介したい。

逝く夏の雨に頭を叩かれて石は静かに冷えはじめたり

 夏の終わりの情景をしみじみと詠んだ句であるが、「石は静かに冷えはじめたり」と、ずしんと心に重く響く言葉で結ばれている。切れ味のよいこの句は、生前の彼女を思い出させて私の好きな句であるが、つい、人間もかくありなんと考えてしまった。

 ※ 安光隆子ーー1939年生まれ。福岡県立京都高校卒。「牙」同人。引用した句は遺歌集 「蒼馬」による。

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